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zoom RSS 「草枕の道」ライド

<<   作成日時 : 2018/10/28 20:12   >>

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高校の同級生で、教職の傍ら夏目漱石の研究を続けてきたM女史は、その功績が認められ、現在、天水町にある「草枕交流館」の館長をしている。
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さらにM女史は偶然にもわたしの家内と同じ大学の同窓生で、この度、その大学の同窓会の熊本支部会の主催で「草枕」の講演会をするというので聴きに行く。

講演会の場所はその「草枕交流館」で、家内を含む参加者の多くは貸切バスで行くのだけれど、折角なので、漱石が歩いた「草枕の道」を自転車で走って行くことにする。
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明治29年4月に第五高等学校教師として熊本入りした漱石は、翌30年の暮れには正月をゆっくり過ごそうと熊本で3番目の住まいになる大江村の家から小天温泉・前田家の別邸へ峠を二つ越えてやって来た。 この旅が、小説「草枕」のモデルとなったという。

まずはその3番目の住まいのあった場所へ行き、ここからスタート。
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実際、漱石がどのルートで市街地を抜けたかは記録がないので、たぶんこれだろうと思われる安政橋を渡り、
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お城を抜けて、段山から島崎へ。

ここからのルートは大体判っていて、現在は「草枕の道」として標柱があちこちに立っている。
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ただし、難所の鎌研(かまとぎ)坂の旧道は、自転車を担いで登るのもままならない険しさ。
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やがて県道1号線に合流すると句碑が建っている。
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「木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙(せつ)を守るべく」

「拙を守る」とは、目先の利に走らず不器用でも愚直に生きることを意味する。これが、漱石の目指す生き方だったとのこと。

「草枕」の中にも「世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜(ぼけ)になる。余も木瓜になりたい」、とある。

そこから少し上ると鳥越峠の茶屋跡。
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その後も標柱に従って坂を下り、
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追分けを過ぎて
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再び上りが始まると
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風情のある石畳の道が始まる所に句碑。
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「家を出て師走(しわす)の雨に合羽哉(かっぱ)かな」

そして、このコースのハイライトとも言うべき石畳の道はロードバイクを押して上り、
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峠の茶屋跡(野出越え)へ。
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展望所の一角に「天草の後ろに寒き入り日かな」の句。
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時折り雄大な眺めを楽しみつつ、
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そこから坂を下って行くが、この道が路面が悪く、ロードバイクには不向き。
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やがて熊本市と玉名市天水町の境界。
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境界石には次のように刻まれている。

 草枕道 これより邦古井里 漱石館まで半里

 温泉の山や 蜜柑の山の 南側 漱石

その後も荒れた路面で、しかも急勾配の下りで久々に自転車を押して下っても恐ろしかった。
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やがて県道1号線に出たが、少し時間が余ったので、左折して、来年退位する天皇・皇后両陛下が昭和37年にお立ちになった南越展望所へ。
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ここの漱石の句碑は「降りやんで蜜柑(みかん)まだらに雪の船」。

ついでにナルシストの丘にも寄って時間を潰し、
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草枕の道に戻って、
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所縁の前田家の墓地を経由して
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「草枕交流館」へ。

丁度、同窓会の貸切バスがやって来て、ここでM女史の講演会。
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女史の漱石およびその作品に関する知識量はさすがに半端なく、小説でよく解らなかった箇所がよく理解できた。

その後、「志保田の隠居」のモデルでもある前田案山子(かがし)の墓を経由して
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温泉宿の「那古井館」で、
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参加者全員で昼食。
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ここの玄関にも漱石の句碑。
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(「温泉や水滑かに去年(こぞ)の垢(あか)」)

その後、物語の舞台となった前田家別邸や、
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(「かんてらや師走(しわす)の宿に寝つかれず」)

そして、民家の敷地内にあって普段は見ることのできない「鏡ケ池」を特別に見せてもらった。
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この後、他の参加者は野出峠にバスで移動。わたしは国道501号線を南に走って、河内から県道101号線に入り、追分でバスを待ち、朝上った石畳の道の入口まで誘導。石畳を満喫した参加者達が乗るバスを見送って、県道1号線を走って鳥越峠を越えて帰った。
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本日の走行距離:48.3q

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
鎌研の旧道、気にはなったものの、ここを行く選択肢は無いな〜
と思っていたら、そこを行かれましたか(笑
あっ、激坂の下りは自転車に乗っていた方が安心するのですが、
自分だけかも。
しかし、皆さんがバスで、一人自転車移動、しかも先に着いてバスを待つって。
さすが(^^)
1008
2018/10/28 22:04
1008さん、おはようございます。
「草枕の道」の一部は、いくら1008さんでも乗って行くのは無理な所がありますが、その他の箇所は1008さんなら乗って行くだろうなぁ・・・と思いながら自転車押してました。普段は使わないような筋肉を使って、今朝は筋肉痛です(泣)。
のぶ
2018/10/29 06:10
草枕の道。そこを歩いて登ってんだから昔の人は凄いですね。
現代の成人病など皆無でしょうね。
自転車でどんなに体を動かしてるといってもかないません。
読み逃げ屋
2018/10/29 14:49
「草枕の道」は点線程度でサイクリングした事が有りますが、
鎌研坂の旧道は行こうとは考えもしませんでした。
自転車を担いで行かれましたか!
出来る事なら(体力がある内なら)このような道はバスでは無く自力で行けるのが一番かと。
みきたか
2018/10/29 19:46
読み逃げ屋さん、こんばんは。
そうなんですよ。昔の人は歩くしかなかったので、かなり遠くて険しい道でも逞しく歩いて行ったんですね。現代の日本人はひ弱になりました。ま、それでも昔の人の平均寿命は50歳くらいだったので、どちらが良いのか難しい問題ですね。
のぶ
2018/10/29 21:03
みきたかさん、こんばんは。
みきたかさんのブログを読んで、鎌研坂の最後の方に石畳の道があるものと誤解していました。その鎌研坂の旧道は、島崎配水池までは自転車担いで行けましたが、そこからの先の藪の中は流石に自転車は担いでも無理でした。さらに天水近くの旧道は路面が悪い上に傾斜が半端なくて、二度と行かない可能性大です。
のぶ
2018/10/29 21:07
草枕の道の標柱は、金峰山へ上る途中に何ヶ所かありますよね。
草枕の道をロードバイクで荒れた道を走ったり担いだりは大変だったでしょうね^^;
でも、ちょっと楽しそう…(笑)
ヘイホー
2018/10/29 21:46
ヘイホーさん、こんばんは。
「草枕の道」は自転車で行くならシクロクロスかMTBかですが、担いでゆくのが危ない箇所もあります。さらに雨の後は滑り易い箇所が多いですが、それ以外は自転車で行くにうってつけですよ。ヘイホーさんも道標に従って是非どうぞ・・・。
のぶ
2018/10/29 21:59
熊本市から「草枕交流館」までロードバイクで行かれたんですか!
凄い道ですね! これはMTBじゃないと・・・
<天皇・皇后両陛下が昭和37年にお立ちになった南越展望所>の後、私たちは小天東小学校の所の道路に並んで、旗を振ってお見送りしましたが、あれは昭和天皇ではなかったんですね!?
宮星
2018/11/03 22:13
宮星さん、こんばんは。
「草枕の道」は凄い箇所が何カ所もありましたが、日頃一緒に走る人たちが少しネジが壊れた人が多いもんですから、わたしも随分耐性ができました。
おっ!当時の皇太子と美智子妃殿下をご覧になったんですね。わたしの場合、昭和天皇は肉眼で(熊本大学病院前の産業道路にて)拝見したことがありますが、平成天皇には縁がありませんでした。
のぶ
2018/11/03 23:16

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