テーマ:史跡
昨日のことだけど、昼食後の僅かな時間に御船町までサイクリング。(嘉島町の浮嶋神社で定点撮影)
御船町は「恐竜の町」として知られているけど、その他にも史跡が多く、また数々の石橋も見どころのひとつ。(門前川眼鏡橋)
そんな中、戦国時代の生涯無敗の武将、甲斐宗運に関する史跡でまだ見てなかったものを中心にポタリング。
まずは木…
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今日も気温が低いのでちょっとだけサイクリング。甲佐町の利水・水害関係の史跡を見に行くことにする。
いつものように出水ふれあい通りを経由して中ノ瀬橋、めど町橋を渡って緑川沿いの道をひたすら走って甲佐へ。
まずは東寒野地区に進んで鵜ノ瀬堰へ。
慶長13年(1608)に完成した、清正公の緑川治水工事の一つで、堰の位置や形を夢…
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クロモリロードバイクを電気自動車の後部座席に詰め込んで、家内と阿蘇の小国へドライブ。
国指定天然記念物の「下城の大銀杏」や、その横の墓地にある色彩が鮮やかな「花山六地蔵」や、近くの「下城滝」を見物。
さらには、このところ名をあげている「鍋ケ滝」を堪能した後は、「道の駅 小国」で自転車を降ろし、杖立温泉でひと風呂浴びる家内と別…
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前回に引き続き、六地蔵めぐりに山鹿へ。
今回は、この後に用事もあるのでN-BOXにクロモリロードバイクを積み込み、植木温泉の公園の駐車して午前6時半頃スタート。
合志川沿いを走り分田橋の辺りで日の出を迎え、県道198号線に入って橋を渡り、鹿本農高の所から左折して、前回、「にしdさん」から教えていただいた六地蔵の立つ方保田(か…
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先日、二の井手沿いの旧・浜線を走った時、「ところで、何で『浜線』って言うんだ?」という疑問が湧いた。(こちらは浜線バイパス沿いの看板)
その道が日向往還であることから、「ひょっとして・・・」と思って調べたら、案の定、「矢部の『浜町』に至る道」ということで「浜線」となったことが判明。
そんなこともあり、矢部の浜町へ。
…
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菊池郡大津町から菊陽町にかけての白川中流域の水田は、阿蘇火砕流の堆積物によって地下水をかん養しやすい地層となっており、熊本市およびその周辺の地下水かん養に重要な役割を果たしている。(休耕田への水はりには熊本市や関連企業からの補助金も)
そんな白川中流域には、川の水を引き込むための六つの堰と七本の井手(用水路)が造られており、「六堰…
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新型コロナウイルス感染流行当初から行きつけのインド食堂のテイクアウトを頻回に利用しているが、マスターの奥さんがパックの蓋にに時々絵を描いてくれて、味気のないフードパックに花を添えてくれる。(絵の部分を切り取って残してある)
そしたら、つい先日の蓋には「津袋の扇形分水」についての質問が・・・。
その扇形分水は何度か行っているが…
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自転車通勤の帰り道に、学生時代のうちの2年間を過ごした熊本大学黒髪キャンパスに立ち寄り、久しぶりに構内を散策してきた。
通称「赤門」と呼ばれている五高の表門からサインカーブの通路をぬけると、マントに下駄姿の「剛毅木訥」な五高生像を右手に見て中門へ。
蘇鉄が植えられたロータリーを望む本館の五高記念館は現在、地震による損壊の修復…
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先日の「熊本と刑法」で紹介した「木下韡村(いそん)塾」。その跡地を示す石碑は、現在、京町の小さな公園(京町台公園)に隣接する空き地に置かれているが、その前は私の実家の真ん前に置かれていた。
それ故、「木下韡村」の名は昔から知ってはいたが、どんな人だったかは全く知らなかったので、図書館で本を借り、ちょっとばかり勉強して、空いた時間に…
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カルロス・ゴーン被告が故郷のレバノンに無断出国し、先日の記者会見では日本の刑事司法制度を激しく非難していた。
そんな日本の司法制度の歴史を紐解いてみると、熊本の関わりが少なからずあったので、今日はその所縁の場所をクロモリロードバイクで廻った。(改装工事中で赤レンガの見えない熊本地裁)
時は江戸時代。細川重賢(しげかた…
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鹿児島在住で、奥さんの帰省に同行して熊本に来ておられるヘイホーさんとサイクリング。
職場で朝の用事を済ませ、セブンイレブン飛田3丁目店で待ち合わせ、坪井川沿いの道を北へ。
小野泉水を経由して植木温泉からはゆうかファミリーロードを走り、宮原からは国道3号線をひたすら北へ走り、山鹿の市街地を抜けて、日輪寺へ。
昨日、12月…
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昼過ぎに「熊本県民交流館パレア」で開催されるシンポジウムに参加するので、そのついでに市街地の史跡へ。
先日、熊本市博物館の特別展覧会で熊本の古い町並みの絵を見たので、その後ネットで色々と調べていたら、昭和の街並みが大きく変わった理由のひとつに「熊本大空襲」というものがあった。
大甲橋際の白川河畔に熊本大空襲の慰霊碑が建ってい…
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午前中、少し時間があったので、清水万国町の方から立田山へ。
「立田山憩の森」に入り、「お祭り広場」や「サクラ池」を過ぎて、さらに坂を上がり、「龍田霊園」と「立田山墓地」を抜けて「春の森」を過ぎると、「五高の森」に入る。(探鳥を愉しむ一団)
そこの道端に建つ「堀内伝右衛門屋敷跡」が目に入る。
堀内伝右衛門は細川綱利の家臣…
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江戸時代に造られた用水路「築地(ついじ)井手」などからなる熊本県菊池市の「菊池のかんがい用水群」が先月、「国際かんがい排水委員会(本部・インド)」が認定する「世界かんがい施設遺産」に登録された。
「世界かんがい施設遺産」は、灌漑(かんがい)施設の歴史の理解や保全を図る目的で、建設から100年以上経過し、農業などの発展に貢献した施設…
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朝、クロモリロードバイクで職場にでかけ、ひと仕事済ませ、昼過ぎから用事があるので川尻までポタリング。
市街地を抜けて白川沿いの道を走る。(十禅寺付近の白川堤防:大雨の際はよろしくお願いします)
そして新幹線沿いの道を南下する。
秋季大祭で賑わっている河尻神社を過ぎて町の目抜き通りへ。
川尻町は鎌倉時代から加勢川河口の…
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朝6時頃にクロモリロードバイクで出発し、久しぶりに宇土イチに出かける。
いつもと反対廻りすることにして白川沿いの遊歩道を走り、九州新幹線の高架橋沿いの道を南下。
川尻、走潟を経由して住吉から国道57号線に入る。
路側帯の白線の突起に難渋しながら網田、太田尾、赤瀬を過ぎて三角西港へ。
山の手側には旧宇土郡役所庁舎や…
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熊本県内の切支丹史跡は天草地方に集中しているが、その他の地域にも散見される。
これまでに菊池、山鹿、宇土、八代、に残る史跡を廻ったが、今日は熊本市内に残るものを観に花岡山周辺を廻る。
折角だから早起きして午前5時半頃クロモリロードバイクで出発し、午前6時頃には花岡山の頂上へ。
北からの強い風に流される阿蘇の噴煙の、彼方…
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ネットの検索で色々なことが判る時代になったけど、実際に脚を運んでみて初めて分かることも多い。
先日のサイクリングで玉名市の八嘉(はっか)小学校の前を通りかかった時に、地区の史跡の案内板が眼に入った。
その中に「林桜園」の名前を見つけた。
林桜園(おうえん)は鷹のような鋭い眼をした大男で、その下唇は顎を覆うほど垂れた特徴…
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グーグルマップを眺めていて見つけた白川公園の「熊本市道路元標」。
1919年(大正8年)の旧道路法制定後に、道路の起終点として全国の市町村名に設置されたもので、熊本県では当時、約360基の道路元標が主に役場の前に設置された。その後、1952年(昭和27年)の改正道路法によりその役目を終わり、県内の多くの道路元標が取り除かれたも…
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熊本に残っている「道路元標」めぐりも、旧阿蘇郡に残るふたつになった。ひとつは宮地で、もうひとつが高森の野尻村なので、カーボンロードバイクを車に積んで、午前4時半頃出発。
二重の峠を越えて、阿蘇市一の宮町の某所に駐車して準備を整え、阿蘇神社門前の水基巡りの参道でボトルに湧水を入れて、午前6時頃にサイクリングを開始。
参道から南…
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戦争体験者ではないんだけれど、やっぱり毎年8月になると心の中に「戦争」が浮かびやすい状態になってくる。
これまでに熊本市およびその周辺の戦争遺跡はおおよそ廻ったけども、人吉球磨地方にあるものをいつか廻ろうと思っていたので実行することに。
クロモリロードバイクをN-Boxに詰め込んで、高速道路で人吉へ。
人吉城の駐車場に…
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梅雨も後半に入ったと思った途端に中休み。わが家は七月盆なので、送り盆のための墓参りの準備を済ませた後、1時間程ポタリング。加藤清正関係の史跡なら、大概廻ったつもりであったけど、地元ケーブル局の番組「ひご散歩」で、下硯川に「暮の坂」という史跡があるのを紹介していたので、探しに行った。場所は西里小学校近くの、県道31号線(熊本田原坂線)と県…
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一日中雨が降ったり止んだりの予報だったけど、午前10時頃になったら空も少し明るくなってきて、家の前の道も乾いてきたので10時半頃にクロモリロードバイクで宇城市小川町を目指して出発。
出水ふれあい通り経由で画図の田舎道を走り、中ノ瀬橋、めど町橋を渡り、城南の旧道を走っていたら昼飯時になってきたので、国道沿いの移転した「エベレストキッ…
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元号が令和に代わって、ちょっとショックだったのは遂に天皇陛下が自分より年下になってしまった、と言うこと。
そんな令和天皇の4代前の明治天皇が熊本に残した足跡が市内のあちこちにあるので、ちょっくら廻って来た。
明治天皇が熊本へお越しになったのは明治5年(1872)と明治35年(1902)の2回。
最初の巡幸は明治5年の西…
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朝の用事を済ませて、午前9時半頃、久しぶりのカーボンロードバイクで自宅を出発し、八代を目指す。
めど町橋を渡り、国道266号線、県道313号線、312号線を走り、小川を抜けて、氷川の森口商店のアツアツの焼万十で栄養補給。
旧・薩摩街道を走って八代に入り、JR八代駅の駅前にある「ミック」でカツカレーを堪能。
その後、八代…
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朝の用事を済ませて、10時半過ぎから宇土を目指してクロモリロードバイクを走らせた。
これまでに菊池と山鹿の隠れ切支丹の史跡をレポートしたけど、宇土にも切支丹関係の史跡があるので探してみる。
宇土市街地に入る頃には昼飯時になったので、先ずはNicoで腹ごしらえ。(「灼熱のタギール・カレー」はスパイスたっぷりのチキンカレー)
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連休なんだけど、時間がとれずに、昨日と今日で近場をポタリング。
四方寄(よもぎ)町にある「御馬下の角小屋(みまげのかどごや)」は、江戸時代に同地で質屋や酒屋を営み、庄屋をしていた堀内氏(養子縁組で一時「赤木氏」)の住宅であるとともに、豊前街道を往来する細川・島津などの大名が休憩所として使用したお茶屋の跡であり、歴代薩摩藩主の他、篤…
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わたしの愛用しているロードバイクのフレーム素材は「クロモリ」。
鉄に少量のクロムモリブデンを混ぜた合金である。ロードバイクのフレームとしては重く、競技には向かないものの、乗り心地がしなやか。
よく考えてみると、「鉄」は人間の身体に不可欠のものであり、「鉄器」は人間の文明と共に歩いて来た歴史がある。
しかし、個人的には、…
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合志市の竹迫(たかば)は、玉名・植木から阿蘇方面へ向かう古道と、菊池から益城・御船方面への古道が交わるところで、交通の要所として栄えた。(竹迫日吉神社)
そんな竹迫から、現在は県道49号線となっているかつての古道を東へ走って行くと、あちこちにお地蔵さんなどが道行く人たちを見守っている。
杉水の集落を抜けて県道を右へ逸れてさら…
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「蒙古襲来絵詞」が17年振りに里帰りして、「くまもと文学歴史館」で展示会をやっていたので先日、見に行った。
(展示会場の外廊下に掲示された「蒙古襲来絵詞」のフォトコピーの長さは合計で40メートル)
そこに描かれていた竹崎季長(すえなが)の事を色々と調べて、その所縁の場所を探索しに数日前は宇城・甲佐を、今日は玉名・和水をロード…
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