テーマ:熊本市

くまもと塘めぐり(続編)

全国でも熊本だけに多い、「塘」のつく地名を巡るポタリングの続編。 前回は熊本市内の「塘」に所縁のある場所を廻った。 その他にも熊本県内には宇城から八代にかけての干拓地に、「沖塘」、「堺塘」、「太牟田塘」などの地名が残っている。 また、山鹿市坂田の菊池川沿いには、そのまんま「塘」という地名や、大津町の上井出沿いには「塘町…

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横井小楠ポタリング

台風22号が接近中だったけど、午前10時頃には空が明るくなってきたので近場をポタリング。 午前中は沼山津、娘との昼食を挟んで、午後は市の中心部の、横井小楠の所縁の地を廻った。 文化6年(1809年)8月13日、横井小楠は熊本市内坪井(現在熊本中央校の敷地内)で150石の肥後藩士、横井時直の次男として生まれた。(小楠が産湯…

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白川の橋めぐり

熊本市の中心部を斜めに横切る白川には多くの橋が架けられている。 繁華街の主だった橋の名前はよく知っているが、少し離れると名前も覚束ないので、熊本市で一番川上にあるものから川下方面へ廻ってみた。 ・未来大橋:県道138号辛川鹿本線(県立総合運動公園のスタジアム横を南北に走る道路)の橋。左岸は熊本市で右岸は菊陽町。 ・弓削…

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南北朝の古戦場めぐり

諸々の用事を午前中に済ませ、午後1時過ぎからクロモリロードバイクで史跡散策に出かける。 昨日、くまもと歴史文学館の館長さんによる、菊池一族に関するクローズドな講演会に参加したが、その中で、南北朝時代(1336~1392年)の古戦場の史跡がわが家からそう遠くない所にあることが判ったので行ってみるのだ。 まず訪れたのが菊陽町辛川…

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くまもと塘(ども・とも)めぐり

「塘」は電子辞書によると訓読みで「つつみ」、音読みで「トウ」、「ドウ」。水を止めるために築いた土手。また、土手を築いて水をためた池。 ところが熊本ではこの「塘」を「ども・とも」と読む。 その理由については中国大陸の読み方とか「ダム」から来たとか諸説あるが、とにかく熊本には「塘」のつく地名が多い。古来から熊本では河川の氾濫が繰…

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「四兄弟と一匹」ライド

今月は時節柄、第二次大戦関係の番組が増え、ケーブルテレビの映画専門チャンネルで今年も「プライベートライアン」を何度もやっていた。 ライアン家の四兄弟のうち、上から三人までが戦死したことが判明。ノルマンディー上陸作戦中に行方不明になっている、残りひとりのライアンを救出しようとして何名もの兵士が犠牲になって行く。 「戦時の四兄弟…

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忘れ物を見つけに「霊厳洞」

ロードバイクを車に積み込み、世界陸上の4X100mリレーで日本がタナボタの銅メダルを獲得したのを見てから一昨日行った城山(じょうやま)へ家内と一緒に車で上る。 ここにある家内の実家の墓の掃除を1時間ほど手伝い、自転車を降ろして、老人ホームに居る義母を尋ねる家内と別れてサイクリングに出発。 一昨日の、「寂心さん」めぐりの際に、…

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「寂心さん」めぐり

ゆうかファミリーロードを植木方面へ走り、県道31号線を横断すると左手の丘の上に見えてくる「寂心さんの樟」。 最初は楽で、後で段々きつくなる坂を上ると、その大きくて優しい姿に、ついつい脚を留めて眺めてしまう。(4年ほど前のサイクリングの時のスナップ) この樟の名の「寂心さん」というのは、戦国時代にこの付近を領した武将・鹿子木親…

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「剣心」のモデルでござるよ

以前、新町をポタリングした時、一新小学校の横の標柱に見知らぬ名前を眼にした。 その標柱によれば、河上彦斎(かわかみげんさい)は天保5年(1834)年11月25日、新馬借町で藩士・小森貞助、和歌の次男として誕生。 11歳で谷尾崎の河上彦兵衛の養子になり16歳で花畑邸の御掃除坊主として出仕。 ちなみに、「花畑邸」とは、加藤…

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わが家も戦場?「城東会戦」

明治10年4月14日に日奈久から攻め上がって来た衝背軍に熊本城の包囲を解き、翌15日には政府軍本隊に三の岳から植木を経て野々島に至る防衛ラインを破られた薩軍は、二本木から木山に本営を移した。(木山の薩軍本営跡は木山小学校となり、現在は「益城町文化会館」) そして政府軍の追撃態勢が整う前に、大津、長嶺、保田窪、健軍、御船を拠点とする…

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ついに解放!熊本城

「4月14日」は「熊本地震の日」になってしまったが、140年前の熊本では、4月14日は50日余り続いた熊本城での籠城戦が終わった日であった。 薩軍の背後を衝いて熊本城に入城するために日奈久に上陸した「衝背軍」は4月12日に緑川を渡り、川尻、隈庄、御船での戦いが始まった。 これを阻止する薩軍の指揮官・永山弥一郎は13日、御船で…

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西南戦争史跡巡り・其の参

薩摩隼人の方々と西南戦争の史跡を巡る第三弾。 第一弾は薩軍川尻到着から熊本城総攻撃まで。 第二弾は植木の戦い、木葉の戦い、そして高瀬会戦。 そして最終回となる今回は西南戦争のハイライト、田原坂の戦い! ところが直前になって急に都合が悪くなったそうで、残念ながらヘイホーさんが欠席。 そこでニューバイクのこくろ…

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小粒でピリっと「竜口隊」

日頃撮り貯めた画像等を使って、薩軍に加勢した熊本城下の集団をレポートする最終回・・・。 140年前の明治10年(西暦1877年)2月19日、天下の名城・熊本城は炎上した。(「西南戦争記事」の挿絵) 火災の原因は諸説あるが、内戦継続中の明治10年8月に出版された「西南戦争記事」という本によれば、炎上の前日、熊本城を拠点とす…

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異彩放つ「熊本協同隊」

往復で92キロ走って、八代の球磨川沿いの「萩原堤」に行ってきた。本日のサイクリングの目的地は、その球磨川を見渡すように建っている「宮崎八郎戦没ノ碑」。 宮崎八郎は荒尾の名家・宮崎家の次男として誕生。長兄が早逝したため、八郎が事実上の長兄だった。父親の政賢は「人間同士の差別はない」と天性の自由を愛し、母親の佐喜は「畳の上に死すは男子…

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探訪「熊本隊」

西南戦争の勉強をしていたら、色々と知らないことが出てきた。昨日と、今日、寒くって近場のポイントを廻って来たので、これまで集めていた画像も加えてレポートを・・・。 『政府に尋問の筋あり』との大儀で熊本へ向かった薩軍に同調する集団が九州各地に興り、薩軍に加わった。 熊本でも、熊本隊、協同隊、竜口(りゅうこう)隊、人吉隊が薩軍に合…

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西南戦争史跡巡り・其の壱

鹿児島県人のおふたり、こくろさんとヘイホーさんとサイクリング。 史跡巡りにお連れしようと考え、それならやっぱり西南戦争の戦跡は外せないだろうと、川尻から熊本城周辺を巡ることにする。 流通団地の南側で待ち合わせ、木部川、加勢川沿いを川尻へ。 まず訪れたのは、延寿寺。明治10年の西南戦争では西郷隆盛が軍隊を率いて2月21日…

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植木町の難読地名

氷点下の朝、職場へ行ってひと仕事して、ちょっとだけ植木周辺をポタリング。 地名には難読のものや、普通の読み方と違うものがよくあるけど、植木町およびその周辺にもそんな地名が多い。 例えば、「味取」 「みとり」、 「仁連塔」 「にれんと」、 「辺田野」 「へたの」、 「木留」 「きとめ」、 …

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自転車関連の五社参り

鹿児島県人のこくろさんとヘイホーさんとサイクリング。 熊本の奥深さを知っていただこうと自転車関連の五社参りにお連れすることになる。 「自転車関連の五社参り」は3年前にも行ったが、今回それを若干アレンジ。 保田窪交差点で待ち合わせ、まず向かったのが、弓削神宮と弓削法皇社。 県民総合運動公園の北側、平方根のマークを描…

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初日の出ライド

昨年に引き続き、家内と初日の出を観に行くことに。 朝起きるといつの間にか帰省していた次男も加えて、15分ほど自転車を漕ぐと、上江津湖に到着。 湖畔の自転車道を走って、眺望の利く下江津湖に着くと、案の定、多くの先客の姿。 飯田山のあたりが明るくなって、そして御来光。 雲ひとつない青空。 今年は良い一年でありま…

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雨上がりに新町ポタ

冷たい雨が上がって、街で用事を済ませるついでに、昼過ぎから新町地区を自転車でうろつくことにする。 「新町地区」は、先月訪れた「古町地区」とならんで、熊本城の城下町としての名残を残す町並みで、坪井川などの外堀で囲まれ、「新三丁目御門」や「高麗門」などの城門の跡が残っている。 そんな新町地区で本日、最初に訪れたのは「富重写真所」…

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漱石の旧居巡り

今月で没後100年となる夏目漱石。(熊大構内の漱石像) 漱石は、明治29年(1896)4月、第五高等学校の英語科講師(後に教授に昇格)として赴任してから、明治33年7月、英国留学のため帰京するまで、4年余りを熊本で暮らした。 その4年の間に6度も引っ越したのは有名な話。その中で、内坪井に現存する5番目の家と、水前寺成趣園の裏…

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たまにゃ夜ポタのんびりと

冬になると職場から帰る時は、もうどっぷりと陽が暮れている。 腹も減っとるし、いつもは気忙しく家路を急ぐけど、たまにはゆったりと・・・。 京町へ廻る用事があるので、それを済ませて城内へ。 三の丸跡の「旧細川刑部邸」は震災での被害が大きく、今も閉園中だけど、園内の紅葉が盛りの期間限定で夜間ライトアップ開園中。 園内の…

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ふたりで古町ポタ

今年の春以来、半年ぶりに嫁とポタリングに出かける。 水前寺を抜けて白山通り、産業道路を走る。嫁と走る時は原則・歩道なので、コース設定には気を遣う。 長六橋を渡って、古町地区へ。 熊本城の城下町の面影を残す古町地区は「一町一寺」(いっちょういちじ)といって、碁盤の目状の町割に、各区画に1つのお寺が配されているのが特徴の珍…

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「藝術の秋」ポタ

「文化の日」なので、たまには文化的なことをしようかと、市内の「堅山南風」関係の場所をクロモリロードバイクで廻った。 「堅山南風」と言えば、「熊本出身の日本画家」くらいの知識しかなかったけど、その名が印象に残ったのは一昨年、「くまもと『水』検定」の受験勉強をした時のこと。 堅山南風作の「魚楽図」という画が熊本の「水遺産」に認定…

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嗚呼!熊本城

京町の実家に郵便物を取りに行くついでに熊本城の被害状況をぐるっと見て廻った。 朝、5時過ぎにシクロクロスバイクで出発。 新屋敷を抜けて電車通りに出て、市役所前から厩橋を渡り、熊本大神宮横の東十八間櫓、北十八間櫓の崩壊は前回レポートした通り。ブルーシートが物悲しいですな。 KKRの前から棒庵坂を上ると、予備校時代によくソ…

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被災地で自転車通勤

自分の住むところが、まさか「被災地」になるとは思ってもみなかった。 初めて体験した『震度6強』という恐怖の揺れの後も強い余震が頻発している。 まだまだ予断は許さない状況だけど、昨夜は16時間振りくらいに電気が回復し、1時間くらいだけど、チロチロっと水も出た。 我が家には体重35kgを超える大型犬がいるため、避難所は半日で諦…

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隈庄飛行場跡散策

先日、ネットのニュースで見た記事から南区城南町舞原の「隈庄(くまのしょう)飛行場跡」を見に行ってきた。 かつての滑走路の南端付近に位置する「火の君総合文化センター」の駐車場には記念碑が建てられていて、碑の裏面の説明書きを要約すると・・・ 隈庄飛行場は昭和14年(1939年)から建設が始まり、昭和16年6月、大刀洗陸軍飛行学校…

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敵味方の区別なく・・・(後篇)

絶好のサイクリング日和でロングライドにでも出かけたいところだけど、前回の絡みで近場のポタ。 午前9時過ぎにシクロクロスバイクで出かけ、国府、横手、坪井、妙体寺、室園、清水亀井などを廻った。 今回も編集して・・・。 佐野常民が「博愛社」の結成を「官」に働きかけていた頃、熊本城下では地元の医師団がすでに敵味方の…

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敵味方の区別なく・・・(前篇)

午前中なら大丈夫そうな天気なので、いつか廻ろうと思っていた、田原坂公園の新しい資料館、玉東町の木葉(このは)と水前寺のジェーンズ邸などを訪れた。 今日のレポは、編集して・・・。 日本での赤十字の誕生は、「西南戦争(西南の役)」にさかのぼる。 明治10年(1877年)2月17日に鹿児島を発した薩軍本隊は、2月22…

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寒風の中、熊本城マラソン応援

第5回目の熊本城マラソンの応援に行く。 午前8時半頃クロモリロードバイクで出発し、産業道路で九品寺交差点まで走ると交通規制で思ったように走れない。 そこで裏道をテキトーに走り、流通団地から南に走る県道182号線に入って南へ。釈迦堂橋を渡って緑川の左岸沿いの道へ。 熊本城マラソンに毎年出場している職場の同僚に、どこで応援…

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