安堵の道しるべ

人里離れた見知らぬ道をひとりペダルを漕いで走っていて心細くなってきた時に、道標を見てひと安心することが多い。
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GPSの恩恵を受ける時代でもこれなんだから、昔の旅人ならさぞかし安堵したことだろう。
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(山鹿口)
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(御船の日向往還沿い)
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(花立)
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(木留)


南阿蘇をサイクリングしていると、そんな道しるべをあちこちでみかける。
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(寺坂水源)

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(あそ望の郷くぎのから中松への道沿い)

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(唐沢津水源)

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(田圃の畦道)

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(両併小学校近く)


その多くは長年の風雨によって、刻まれた文字もよく読めなくなっているが、読める文字からはその「甲斐有雄」という製作者の暖かみが伝ってくるかのよう。
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(白川水源から色見方面へ向かう道すがら)


文政12年(1829)に現在の高森町に生まれた石工の甲斐有雄は、旅人が道に迷わぬようにと、30歳を過ぎてから、ひとりコツコツと石道標を立て始めた。
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南阿蘇を中心として高千穂周辺や、大分との県境周辺にかけて、その数は1900基を越える。

その他にも火災があった地区には見舞いとして防火水槽(石舟)を送るなどの事もしている。そんな長年の善行に対し、隣県の宮崎からも随時褒賞を受けており、昭和36年には熊本県近代文化功労者として表彰されている。

また、有雄は父・大助とともに多くの日記資料を残しており、
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なかでも明治10年のものは西南戦争および時を同じくして勃発した阿蘇での農民一揆について詳細に記されており、特に有雄が政府軍側の軍夫(人夫)として徴用された7月末から9月中旬にかけての日記やスケッチは、大変貴重なものとされ、現在、熊本県の文化企画課が所蔵しているという。
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いつか本物を見てみたい。

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