人吉・球磨の戦争遺産

戦争体験者ではないんだけれど、やっぱり毎年8月になると心の中に「戦争」が浮かびやすい状態になってくる。

これまでに熊本市およびその周辺の戦争遺跡はおおよそ廻ったけども、人吉球磨地方にあるものをいつか廻ろうと思っていたので実行することに。

クロモリロードバイクをN-Boxに詰め込んで、高速道路で人吉へ。DSC00277.jpg

人吉城の駐車場に車を停めてサイクリングを開始。

市街地の丸ポストDSC00280.jpgや山江村に残っている道路元標をゲットしつつ、DSC00282.jpg
相良村を抜けて、
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錦町にある「人吉海軍航空基地跡地」へ。DSC00294.jpg


人吉海軍航空基地は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月に、海軍施設部により建設が開始された。全長1,500m 幅50mのコンクリート製滑走路を有する飛行場と、本部庁舎や実習棟、兵舎が建ち並ぶ庁舎居住地区からなる、本格的な航空基地だった。

当初整備兵を養成していたが、昭和19年5月からは海軍飛行予科練習生が入隊。その数は6,000名を超えた。

その後、2度にわたる空襲と戦況の悪化により、教育施設から特攻訓練基地、そして本土防衛基地へとその役割を変えていった。

上空には、「赤とんぼ」の愛称で知られる九三式中間練習機が特攻訓練に明け暮れ、DSC00359.jpg地上では本土決戦に備えた膨大な数の地下施設の建設が進められた。

そして間もなく終戦となり、人吉海軍航空基地の活動期間は、わずか1年9カ月と短いものであった。

広大な跡地には現在でも「人吉海軍航空隊庁舎区隊門跡」の門柱や、DSC00292.jpg慰霊碑や軍人勅諭の碑、DSC00301.jpg「人吉海軍航空隊内門跡」など、DSC00305.jpg多くの痕跡が残っている。

また、滑走路の一部は直線道路として残っており、DSC00363.jpgその一端には昨年8月、「人吉海軍航空基地資料館(山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム)」がオープンしている。DSC00356.jpg

その近くにある「魚雷調整場」は丘陵地帯の端に掘ってある壕の奥深くにあり、DSC00315.jpg関係者以外は立入禁止となっているが、DSC00310.jpgミュージアムのガイドツアーに申し込むと、見学することができる。

さて、この日、人吉球磨地方の朝の天気は曇りで、次に目指す湯前方面の先の山々には雨雲がかかっていた。DSC00321.jpg

向かい風に悩まされながら県道33号線であさぎり町を抜けて多良木町に入り、沿道にあった青蓮寺で六地蔵をゲットし、DSC00324.jpg湯前町の、かつて「湯前城」があった山中に鎮座する「市房山神宮里宮神社」に到着。DSC00325.jpg

この神社は縁結びや農作物の豊作をつかさどるだけでなく、武の神様としても敬われてきた神社。DSC00339.jpg

その一方、太平洋戦争中、海の底に沈んだ旧日本海軍の軽巡洋艦「球磨」の艦内には、この神社が守護神として祀られていた、とのこと。

日本では、漁船など小さな船でも神様をまつる習慣がある。海軍の軍艦の中にも「艦内神社」が祀られ、軽巡洋艦では、艦名と由来のある神社の神様を守護神にしていた。

高速性と攻撃力を強化した軽巡洋艦「球磨」は1920年に佐世保で造られ、そのスピードを活かして多くの作戦や輸送に活躍した。DSC00331.jpg1944年1月11日、マラッカ海峡でイギリス潜水艦の魚雷7発を受け沈没。乗組員約450人のうち138人が戦死した。

軽巡洋艦「球磨」の艦内神社がどの神社だったのか、長年不明であったが、その後、この里宮神社であったことが判明し、その後、この神社の境内には「軽巡洋艦球磨記念館」が造られている。DSC00328.jpgDSC00332.jpgDSC00329.jpgDSC00334.jpg

さらには近年、海軍の艦艇を擬人化したキャラクターである艦娘(かんむす)を強化・育成して、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ「艦これくしょん(通称『鑑これ』」がブームとなって、鑑これ.JPGお気に入りの艦娘の艦内神社にお参りする「聖地巡礼」のファンの要望に応え、鑑これ球磨.jpg
御朱印も用意されている。
DSC00337.jpg


湯前からは追い風に乗って、DSC00345.jpg国道を走って多良木町の国道筋では永昌寺の六地蔵をゲットし、DSC00346.jpg免田に入って右に折れ、球磨川鉄道の線路沿いを走り、DSC00347.jpg
「おまめど幸福駅」では幸せの黄色い丸ポストをゲット。
DSC00350.jpg再び錦町を抜けて、DSC00363.jpg人吉市に入り、観音寺の六地蔵塔や
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物産館の丸ポストをゲットしつつ、DSC00369.jpg球磨川を渡って、DSC00370.jpg最後に訪れたのが、「桃李温泉 季の杜 石庭」。DSC00371.jpgこの温泉旅館の敷地内に「高木惣吉記念館」が設けられている。


高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人で、最終階級は海軍少将。高木惣吉.jpg

旧制中学校への進学が叶わない貧しい家に生まれ、働きながら独学で海軍兵学校への入校を果たし、海軍大学校を首席で卒業。

健康に恵まれず、海上勤務は少なかったが、軍政方面で活躍し海軍部外に幅広い人脈を有した。

太平洋戦争の戦局悪化に伴い首相・東條英機の暗殺計画を立案したが決行直前に東條内閣が瓦解し未遂に終わる。その後は井上成美らの密命により終戦工作に従事。各方面と連携をとりながらの終戦への基盤づくりを行った功績は大きいとされる。

高木惣吉氏の親族の方がこの史料館の管理をしておられ、DSC00374.jpgDSC00378.jpg
高木惣吉氏のまとめ上げた終戦前後の資料やDSC00379.jpg
長年続けてきた日記は終戦の舞台裏を知る貴重な資料と認定され、原本は国会図書館で保管してあるらしく、DSC00380.jpg予約して伺うと、大変親切に、しかも詳しく説明してもらい、DSC00377.jpg高木惣吉氏の業績を改めて心に刻むことができた。

わたくしめのサイクルジャージ姿を見て、「熱中症予防に・・・」と下さった飲み物とお菓子をいただきながら、しばらくお話をして辞去。DSC00385.jpg

雲間から太陽が出て気温が上がる中、人吉城内の駐車場へと走り、本日のサイクリング終了。DSC00387.jpg

本日の走行距離:65.3㎞

人吉球磨走行図.JPG

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この記事へのコメント

ヘイホー
2019年08月12日 08:19
人吉に行かれたんですね!人吉に海軍航空基地があったんですね。
戦争に関連する施設等もですが、魅力的な場所が多くて行ってみたいです(`・ω・´)
次回は、人吉在住のNさんもご一緒に走りたいと仰っていました。
のぶ
2019年08月12日 10:52
ヘイホーさん、こんにちは。
久しぶりに人吉へ行きました。本当は人吉在住のmotteaさんとでもご一緒するつもりもあったのですが、急に思い立って行きましたので単独行となりました。
人吉在住と言えば、勘なしのNさんのブログも思い出しながら錦町を走っていましたが、機会があればご一緒したいと思っています。
1008
2019年08月12日 13:28
人吉も盆地なので、気温はそれなりに暑いでしょう。
やはり、午前中のサイクリングが無難ですね。
軽巡洋艦 球磨があったとは知りませんでした。
その高速性が現在のレベルでどれ程だったのか気になる所です。
また、艦内神社があったとは驚きです。
宗教の多様化となった現在では無くなった事でしょうね。
(今ても受け継がれていたりして)
のぶ
2019年08月12日 19:04
1008さん、こんにちは。
わたしも、午前中とは言え、人吉盆地の暑さを覚悟していたのですが、幸い昨日は曇り空で風もあり、汗もそれほどかかずに済みました。
艦内神社は、海上自衛官が保有する艦艇にも有るんだそうです。そう言う意味ではあんまり昔と変わってないのかも・・・。
みきたか
2019年08月12日 19:16
かなり盛沢山のライドでしたね、
『鑑これ』、のぶさんはこの方面にも詳しいんですか。
リンク先から海軍の戦艦・空母etcを知りました。
かなりの数を有していたんですね。
のぶ
2019年08月12日 20:38
みきたかさん、こんばんは。
いえいえ、わたしは兵器マニアではありません。子どもの頃は戦艦のプラモはよく作ったものですが、それ以降はブッツリ・・・。
リンクの一覧表を見ると、本当に多くの艦艇がありますね。ただ、空母の数が少ないのが決定的な問題でしたね。
N家
2019年08月13日 16:15
人吉方面は人吉駅以外は未踏ですお恥ずかしいw
おかどめ幸福駅までの黄色い丸ポストはここ2年くらいに新たに設置されたものという情報しか知りません。
僕程の歳ですと戦争は程遠く感じますが8月6日になるとテレビを見て長崎の8月9日を思い出し黙祷しようと思いますが毎年、昼前は仕事に追われて忘れてします。それでも小中高と8月9日は夏休みの登校日で当時はかったるかったですが今思うといい教育を受けれたと思います。
のぶ
2019年08月13日 20:32
N家さん、こんばんは。
 8月9日は夏休みの登校日でしたかぁ。逆にわたしらの時は、そんな登校日はなかったような・・・。終戦後10年でわたしは生まれましたので、小さい頃は、まだ、戦後の余韻みたいなものが感じられました。
 ところで、丸ポスト収集、大変面白いですね。クセになりそうです。人吉駅のは人が多くて恥ずかしくて画像撮れませんでした(苦笑)。
mottea
2019年08月16日 16:42
こんにちは。
こちらへこられてたのですね。見慣れた場所がいっぱい。
錦町のミュージアムができていたのは知っていましたが、近すぎて足が向いてませんでした。私にとって戦争は正直、実感としてはぴんと来ませんが、父の伯父(私からしたら祖父の一番下の弟)が海軍の軍人だったようで海で戦死しているそうです。
父曰く、兄弟でも特に体が頑丈で賢くもあったそうで、帰省の際に大きな手でごしごしと頭をなでられたことを覚えているとのことです。
どの戦争でもそうなのでしょうが最初に犠牲になるのは若く優秀な人たちなのでしょうね。
軽巡洋艦に「球磨」というのがあったのは恥ずかしながら初めて知りました。球磨地方といえば山深い地と川のイメージなので海で活躍する船の名前になっていたとは何か意外な感じです。
高木惣吉記念館の奥さんは、確かその方のお父さんが高木惣吉の甥にあたられるのではなかったかと思います。(私の記憶違いでなければ)
うちのお客様でときどき配達に伺っております。熱い季節でなければおもてなしは私のところのお茶だったかもしれませんね(笑)
こちらにお越しの際はお声をかけてくださいね。お待ちしております。
のぶ
2019年08月17日 15:31
motteaさん、こんにちは。
お近くをサイクリングしながらご連絡も致しませんで、大変失礼しました。
廻る箇所が多くてタイトなスケジュールでしたし、お盆時でお忙しいかも・・・と、今回は単独走としました。
今回廻った箇所は数年前からいつか廻ろうと思い、なかなか機会がなく、終戦記念日を前に思い立った次第です。
その時廻った三カ所はそれぞれ戦争遺跡としては特色がありましたが、中でも特に印象に残ったのは高木惣吉記念館でした。館長さんから色んなお話を伺い、わたしの記憶も全く正確ではありませんが、館長さんは高木惣吉氏の従弟(親子ほど齢がはなれていたとか)の娘さんだったようです。高木惣吉氏の晩年の思い出を懐かしく聞かせてもらいました。わたしにとっても貴重な体験でした。
次に人吉球磨地方にお邪魔する時は必ずご連絡を入れますのでよろしくお願いします!
にしひがし
2019年08月29日 23:17
>クロモリロードバイクをN-Boxに詰め込んで

お買い上げ、ありがとうございます
のぶ
2019年08月30日 08:47
にしひがしさん、こんにちは。
タイヤを外さずにロードバイクが2台積める・・・これがN-Box購入の第一の決め手でした(笑)。
それと、ホンダの自家用ジェット機もついでに購入しようかと思ったのですが、格納庫を持たないので見送りました(笑)。