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zoom RSS 県北の「絹の道」ライド

<<   作成日時 : 2018/05/20 15:42   >>

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蚕に桑の葉を食べさせて育て、その繭から絹を作り出す養蚕業は、かつて日本の主要産業であった。
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中国で始まった養蚕業は朝鮮半島を経由して弥生時代には日本にもたらされたと言われるが、特に江戸時代以降は多くの藩で奨励したこともあって、盛んに行われるようになった。
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(これだけの道具で繭から絹ができる:熊本市塚原歴史民俗資料館展示)


肥後の国では、細川重賢が藩の財政危機を乗り切るために養蚕を奨励した。この際、現・山鹿市下米野で養蚕機織をしていた島己兮(しまいけい)を京都に派遣し、養蚕及び機織の技を磨かせ、帰国後、広く肥後藩内の各地を巡回させ、養蚕の技術指導にあたらせた。

「蚕の神様」と呼ばれた島己兮の墓は生まれ故郷の下米野に建てられ、
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その横には「蚕神社」が建立されて県内の養蚕業者の信仰を今も受けている。
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幕末期になると肥後藩では、横井小楠門下生の
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(熊本市役所の筋向いにある「高橋公園」の「横井小楠と維新の群像」)

長野濬平(しゅんぺい)が養蚕の研究に力を入れて「養蚕富国論」を提唱。
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(「横井小楠と維新の群像」の台座には小楠の門下生のレリーフが6つ並んでおり、そのひとつが長野濬平)

維新後は全国の養蚕先進地を視察し、養蚕試験場を開設するなど、熊本での蚕の普及と製糸の機械化により、殖産興業と輸出貿易の振興を目指した。

明治二十六年に設立した熊本製糸合資会社では、努力の結果、遂に「日本一の品質」と評価され、海外に輸出されるようにもなった。
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(九品寺にあった工場の煙突の下の部分がYouMeタウンの駐車場に残されている)


これに触発されて県内各地に製糸工場が造られてた。
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(かつて孔子温泉の駐車場にあった煙突は「泗水社製糸工場」のもの)

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(地震で損傷した煙突は取り壊されたが、蚕の慰霊塔が残っている)

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(上乃裏通り界隈にあるビアホール「壱之倉庫」は「鹿本製糸」の繭倉だった)

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(甲佐町の「鮎やな公園」付近には近代的な「緑川製糸場」があった)

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(小川町の「白玉屋新三郎」の近くにも製糸工場があった)

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(繭人形で有名な「やまが門前美術館」は、元々「繭問屋」だった)

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(菊水に移転した熊本製糸の工場も今は太陽光発電所)


明治以降の日本の発展に大きく貢献した養蚕業であったが、人工繊維の発達、安価な外国製品などのために次第に衰退。現在、県内での養蚕業者は片手の指で足りるほどになってしまった。

そんな県下の衰退産業に、数年前から、新しい風が吹き始めている。

前置が少々長くなってしまったが、「新しい風」が吹いている山鹿周辺を廻った。

午前6時過ぎ、カーボンロードバイクで自宅を出発し、北へ走って、
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最初に訪れたのは山鹿市鍋田にある「お蚕ファーム」。
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6年前に福岡から移住してきた女性が、ひとりで切り盛りしている養蚕農家。「人の手でお蚕さんを育てる」という養蚕農家の文化を、日々学び、大切に残していきたいと思っておられる。
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(こちらが作業場)


現在、農繁期らしいので直接お会いすることは控え、前日に電話して、写真を撮るお許しを得たが、お話してみると、大変感じの良い女性だった。
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(アプローチは一面の桑畑)


岩野川沿いの道から国道3号線を北へ走って次に訪れたのが、廃校した広見小学校跡に昨年完成した「あつまる山鹿シルク」の工場。
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その名前から判る通り、求人情報誌を発行する「あつまるホールディングス」(熊本市)が全額出資している。
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総工費は約23億円というこの工場の最大の特徴は人工飼料と、密閉された無菌のクリーンルーム。

自前の農場で生産した桑の葉から作った人工飼料を食べさせることで、年間を通じて安定的に養蚕ができ、絹製品だけでなく、化粧品や医薬品も生産するという。
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この工場から少し南へ戻って、県道197号線へ左折し、しばらくして左へ折れて西岳方面への九十九折の坂を上る。
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(金峰山も良く見えた)

広域林道に突き当り、左折してもう少し上ると、「あつまる山鹿シルク」の工場で使用される飼料の原料を栽培している「天空桑園」。
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西岳頂上から南に広がる山稜の耕作放棄地を利用して広大な桑畑が広がっていた。
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広域林道を南へ走り、菊鹿に降りて、あんずの丘へ。丘の西南の墓地の一角に、立派な「長野家」の墓地があり、
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その中に、熊本での養蚕の振興に功績のあった前述の長野濬平の墓。
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横には顕彰会の人達が石碑を建てている。
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手を合わせたりしていたらお腹が減って来たので、栄養補給に「あんずの丘」の「アン」で季節のスイーツをいただく。
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(あんずのロールケーキセット)


その後は内田川、
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菊池川、合志川、小野川、坪井川沿いの道を走り、「インド食堂」でランチして昼過ぎに帰宅。
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本日の走行距離:103.8q

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
以前に広域林道を通ったときに、広い範囲で耕作していたのですが、
それが桑園だったのですね。
何だろうと思いつつ、素通りはいつもの事です(^^;)
熊本でも養蚕が盛んだったとは知りませんでした。
孔子温泉の煙突、まさか温泉のでは無かったとは、騙されました(笑
1008
2018/05/20 19:25
蚕、絹は信州のイメージ。
山鹿の工場はニュースでは知ってましたが、
熊本県内にも多くの製糸工場があったんすね。
たぶん、全国各地にも多数あったのでしょう。
その中で日本一でしたか!
爬虫類と毛虫系はどうも苦手ですが、
蚕さんは見た事はないものの親近感いっぱいです^^
みきたか
2018/05/20 19:39
昔、祖母の家に蚕いました。
桑の葉?交換したりしましたが、あんまり気持ち良いものでは無かった記憶がありますね。
繭から絹糸が取れる事を聞いて、不思議な感じでした。
こくろ
2018/05/20 21:42
1008さん、こんばんは。
いつか1008さんのブログで「天空桑園」の看板の事が書いてあったですね。あれをヒントにグーグルマップの航空写真から場所が特定できました。
孔子温泉の煙突は、オープン当初はわたしも温泉の煙突だと思っていました。よくみると駐車場の中に離れてあるので、あれ?と思ってよく見たら、解説の看板が立っていました。その煙突もなくなってしまって少し残念です。
のぶ
2018/05/20 21:54
みきたかさん、こんばんは。
わたしが小学5年生の頃、母の知り合いの人に、当時植木にあった養蚕試験場に連れて行ってもらって、蚕の繭を数個もらって、蚕の成虫が羽化するのを観察したことがあります。蛾の一種ではあるのですが、羽が退化して飛べず、とっても可愛かったのを覚えています。
のぶ
2018/05/20 21:58
こくろさん、こんばんは。
おっ!おばあさんが養蚕をしておられたんですね。わたしの父の実家は広島の農家なのですが、そこでも蚕を飼っていて、蚕の幼虫が桑の葉が食む時に雨が降るような音がすることを懐かしく話しておりました。
確かに、あの繭が絹になるっていうのは、ほんと不思議ですね。
のぶ
2018/05/20 22:03
熊本で養蚕が有名だったとは知りませんでした。
蚕の繭が絹になるのは不思議ですよね。
山鹿に大きな工場を作るってことは、需要があるからなんでしょうね^ ^
ヘイホー
2018/05/21 07:07
ヘイホーさん、おはようございます。
鹿児島も養蚕は盛んだったみたいですよ。山鹿に大きな工場ができたのは、もともと山鹿周辺が養蚕が盛んな土地柄というのもあったでしょうが、敷地に適した廃校跡地があったのと、桑畑に適した土地、それに何より行政からの補助もあったようです。
のぶ
2018/05/21 07:50
昨年、確か菊水方面からやまが門前美術館にいらしておられたので、もしかすると『蚕』についての記事を載せられるのではないかと楽しみにしていました。
(※全然的外れだったらすいません。)
しかし、もの凄いリサーチ力で、色々と勉強になりました。
「天空桑園」で近所の方が仕事をされていますが、草刈りとか猪・鹿の駆除とかで管理が大変ということでした。 のぶさんが熊本市から来られて、この山の上までロードバイクで上られたというのにも驚きました。


天空桑園
アンカー星人
2018/05/23 17:42
アンカー星人さん、こんばんは。
蚕の事に興味を持ちだしたのは甲佐の鮎の簗場の近くの緑川製糸場跡の碑を見てからなのですが、単発ではあまりブログネタにならないので、いくつか画像を集めてからブログアップしようと思っていました。その後、なかなか機会がなかったのですが、あつまるくんの工場をアンカー星人さんがブログアップしていた頃に、それと対照的な「お蚕ファーム」の事を知り、それに天空桑園と長野氏一族の墓地でコースを設定しました。わたしとしては長い距離を走った後の山登りだったので、予想以上に疲れました。
のぶ
2018/05/23 21:25

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