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zoom RSS 「不知火干拓地」ライド

<<   作成日時 : 2017/10/01 16:24   >>

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朝7時過ぎにクロモリロードバイクで出発し、出水ふれあい通りから中の瀬橋、めど町橋を渡り、
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国道266号線を南下し、県道313号線、312号線を走り、小川を抜けて道の駅竜北で小休止。
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(本日の試食では、やっぱりここの梨が一番だった)


田舎道を走って氷川町を抜け、
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(ここで基礎知識を習得)
鏡町周辺の「不知火干拓地」の史跡巡りにやっていた。


八代沿岸地域は日本三大急流の一つでもある球磨川と氷川、砂川などの小河川が不知火海に注ぎ、その砂流によって肥沃な三角州が形成され、地形的に干拓に適した地であったため、清正以降の380年の間に28カ所が干拓され、今ではこの八代平野の約80%が干拓地となっている。
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(海側から観た不知火干拓地のジオラマ)


数多くの人々がこの「不知火干拓地」の事業に参加してきたが、その中でも名を残している者の一人が鹿子木量平である。
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量平は1753年、その名の示唆する通り、飽田郡鹿子木村(現・熊本市北区鹿子木町)の、鹿子木寂心を祖先に持つ庄屋宅に生まれ、1773年に父の後を継いで庄屋となった。

1783年の天明の飢饉や1792年の寛政の大津波の際には民衆の救済に力を尽くし、民政の才能を認められて杉島手永(富合町、城南町など)の惣庄屋を経て、1804年には野津手永(竜北町、鏡町など)の惣庄屋に任命された。

着任当時の野津手永は農地に乏しく貧しいところであったため、民を潤すために量平は干拓による新田開発に着手した。
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量平は、工事に臨む際、土木工事・新田開発の先駆者として加藤清正の神霊に祈った。

干拓工事には多くの困難が待ち受けていたが、百町新地、四百町新地、七百町新地、と17年間で次々と新田を開発した。
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八代市鏡支所の玄関には当時の干拓事業の作業風景を再現した有田焼が壁画がある。
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(本日は玄関が閉まっていたので、ネットより拝借)


工事の完了後、量平は加藤清正霊の加護に報いるため、清正公を祀る本妙寺浄池廟より分霊を勧請し、新しい地域の守護神として神殿を創建した。
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(「貝洲加藤神社」は立派な神社だった)


そこから約1qほど南西へ走った。大鞘(おざや)川に架かる「大鞘樋門群」は、量平の新田開発の際の遺構である。
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(他に類を見ない強靭な石組には四男・謙之助の技能が発揮されたらしい)


また、樋門の間の空き地には干拓事業に従事した人々が歌った「大鞘節」の発祥地の碑。
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歌詞は8番まであり、歌詞の内容は、飲み水がないこと、仕事のきつさ、作業の進め方、「お菊」と「だいばどん」との恋などを表しているとのこと。
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量平は天保12年(1841年)、89歳で亡くなった。

その墓は彼が手掛けた3つの新地が交わる場所にたてられた。そして量平の右腕となってともに干拓のために働いた四男の謙之助の墓も量平の墓の向かって左側に建てられている。
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さらに量平の偉業をたたえるために、没後70年にあたる明治43年(1910年)、量平らの墓の脇に神社(文政神社)を建て、量平を祭神として祀った。
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帰路は、道の駅竜北からはひたすら国道3号線を北上。ところが、松橋手前でパンク!ちょうど豊福小学校の前だったので、学校の玄関先でチューブの交換。
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(ん?何か刺さっている!)
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さらに国道3号線で宇土に入り、JR宇土駅前の、みきたかさんお薦めの「NICO」でランチしようと思ったら「定休日」で、「それなら・・・」と富合の「鮪匠とろや」へ行ったら行列で、仕方がないので、ウキウキロードを走って、
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熊本市に入り、いつもの「インド食堂」でランチして帰った。
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本日の走行距離:90.4q

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コメント(10件)

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有明海、八代海は古くから干拓されて来たんですね。
山間部に行くとそれこそ猫の額ほどの田畑。
平地が少ない日本で先祖の方々が知恵と汗で広げてきた耕作地。
あっ、2軒にふられると堪えますねー。そんな時はやっぱおなじみ。
みきたか
2017/10/01 18:24
重機等の無い昔に干拓工事って、気が遠くなります。
この前、10tダンプの砂利をやっとこさ広げましたが、
干拓となると量が数桁違いますからね。
先人達の苦労があって、今の生活を送れるので、感謝しないと
罰が当たりますね。
のぶさんも定休日ウイルスにかかりましたか(笑
1008
2017/10/01 18:47
みきたかさん、こんばんは。
日本の国土の約7割は山ですからね。やむにやまれぬ「選択」ならぬ「干拓」だったんでしょうね(笑)。
今日のランチはノープランだったのですが、やっぱり事前に確認しておかないといけませんね。国道3号線の食事処はどこも駐車場が車でいっぱいだったので、時間を遅らせて午後1時過ぎにインド食堂に行きました。それでもやっと入りました。外食する人、多いですね。
のぶ
2017/10/01 21:58
1008さん、こんばんは。
重機のない時代の人達は知恵を使って重い物を動かしていたんでしょうね。
科学が発達すると、意外と人はある意味、愚かになって行くのかもしれません。
八代平野は確か、秋冬のトマト生産では日本一だっと思いますが、まさしく、先人達の苦労があればこそ、ですね。
あらら?「定休日ウイルス」っていうのがあるんですか?何だか感染力が強そうですね。次のサイクリングのランチが心配になってきました。
のぶ
2017/10/01 22:04
今こうやって過ごしているのは、先人の知恵と技能のおかげですね。
「鮪匠 とろや」…1度行きましたが美味しいしボリューム満点でした。
今日の金峰山、のぶさんのおかげで寒さを凌げました!
来週の天気も要チェックですね(゚∀゚)
ヘイホー
2017/10/01 22:20
ヘイホーさん、こんばんは。
金峰山、ご苦労さまでした。時間のないスケジュールでも、ちゃんと峠の茶屋まで登られるのは立派です!それにしても今朝は寒かったですね。これからしばらくはウエアの選択に頭を悩ませそうですね。
次に来熊の折にはよろしくお願いします!
のぶ
2017/10/01 22:37
のぶさんこんにちは。
私の実家の後ろには干拓の田んぼが広がっていました。地形からすると多分海岸だったと思います。堤防を作り塩抜きして米ができるまで大変だったと思います。
okd
2017/10/02 12:07
okdさん、こんにちは。
おっ!ご実家は干拓地に隣接しておられたんですかぁ。そうですね。塩抜き、大変だったでしょうね。特に田圃と使用する場合はたいへんだったでしょうね。ただし、八代では塩の多い畑地ではトマトの実が大きくならず、売り物にならなかったのが、今では「塩トマト」として商品価値が上がったって話も聞いていますので、色んな側面があるようですね。
のぶ
2017/10/02 18:53
ウチの近所の周りを走られたようですね。
小学校の時に鹿子木性がいましたが子孫でした。
7代目だったとか。
未だに田んぼは百町など当時の呼び名を使っています。
鏡町役場の近くに干拓当時に建てられたお社?がありますが人身御供となった娘を奉ってあります。
鏡町が八代市に合併する際に劇が行なわれたんですが、その劇団はこの干拓工事のことを演じました。
あ、親父が主役だったという(笑)
で、だいばどんの役はその人身御供となった方の子孫が演じました。
お鞘節は今も昔も小、中学校の運動会では踊っています。
せい
2017/10/02 23:00
せいさん、こんにちは。
おおっ!せいさんはあの辺りにお住まいでしたかぁ!わたしの職場は熊本市北区ですが、同僚に鹿子木姓がおりました。やはり、そちらにもおられるんですね。鹿子木量平の墓の説明板に「人柱」の事を書いてありましたが、本当に人身御供になった娘さんがいらっしゃるのですね。しかもその子孫もご健在なんですね。感慨深い話です。
なるほど、干拓地に住んでおられる方々によって、大鞘節をはじめとする当時の様子を伺わせるものは代々受け継いでいっておられるんですね。
大変勉強になりました!
ちなみに、今度の週末もご近所を走るかもです(笑)。
のぶ
2017/10/03 07:33

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