くまもと自転車紀行

アクセスカウンタ

zoom RSS わが家も戦場?「城東会戦」

<<   作成日時 : 2017/04/20 14:38   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 8

明治10年4月14日に日奈久から攻め上がって来た衝背軍に熊本城の包囲を解き、翌15日には政府軍本隊に三の岳から植木を経て野々島に至る防衛ラインを破られた薩軍は、二本木から木山に本営を移した。
画像
(木山の薩軍本営跡は木山小学校となり、現在は「益城町文化会館」)
画像


そして政府軍の追撃態勢が整う前に、大津、長嶺、保田窪、健軍、御船を拠点とする防衛ラインを再構築した。
画像


この時の薩軍の総勢は薩軍本隊とこれに加わった、熊本隊、熊本協同隊、竜口隊、飫肥隊、貴島隊などの党薩諸隊を合わせて約8000人。

これに対して、片川瀬、竹迫、立田山、熊本城下東部、川尻、隈庄、堅志田に拠点を置き、総勢30000人の兵力で臨んだ。
画像
(立田山の東側、龍田御野立所には「官軍砲兵陣地跡」の碑)


4月17日には御船で、に4月19日には健軍で戦闘が始まり、そして4月20日早朝から熊本平野の約20qにおよぶ戦線の各地で一斉に戦闘が始まった。

美咲野から鉄砲小路にかけて激しい戦闘が行われた大津では
画像
多勢の政府軍に対して薩軍は20日日没まで対等に持ち堪え、
画像
(激戦地のひとつとなった現在のホンダの南門近くの解説板)
長嶺、保田窪、健軍では一進一退ありながらも薩軍優位であった。

特にわたくしめの住む保田窪での薩軍の反撃は凄まじく、一時は熊本城に攻め込むほどの勢いであった。

しかしながら御船では
画像
薩軍に加え熊本隊、熊本協同隊、人吉隊の熊本諸隊も奮戦したものの、兵力に勝る政府軍に後退を余儀なくされ、20日夕刻には総崩れし木山方面へ敗走した。
画像
(御船町妙見坂に建つ「熊本諸隊奮戦の碑)


町を流れる御船川は薩軍兵士らの血で赤く染まったと言われる。
画像
(多くの薩軍兵が命を落とした御船川の若宮渕)


20日夜、御船方面からの敗走兵で混乱した木山の薩軍本営では矢部・浜町への撤退を決断した。

戦線を維持できなくなってきた大津の薩軍も木山に戻り、攻勢に出ていた長嶺、保田窪、健軍の陣営も撤退した。

こうして、関ケ原以来の国内最大の野戦となった城東会戦は1日で終結した。
画像


この会戦での官軍の死傷者は700名以上で3月20日の田原坂・総攻撃を上回る被害を出した。

薩軍および党薩諸隊はこの後、九州山脈に入り込み、長い長い敗走を続けることになる。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
あらー、こんな戦いがあったんですね。
この後の敗走が日向往還で見た標木でしたか。
みいたか
2017/04/20 18:04
みきたかさん、こんばんは。
わたしも数年前まで、熊本平野が戦場になったことは知らなかったんです、はい。
馬見原までの日向往還はまさに薩軍の敗走路になりますね。走っておいて、良かったです。
のぶ
2017/04/20 22:30
なるほど、この配置だと薩軍は日向往還しか逃げ道はなかったでしょうね。
我が家付近も何らかの戦いがあったかも。
しかし、傷ついた体であの道を逃げるとは。
自転車であれでしたからね〜
1008
2017/04/21 12:46
熊本市周辺はことごとく戦場になってますね。
家の庭先を鉄砲や刀を持った兵士たちが走り回る姿を、見てみたい。
この時一般市民達は、どこかに避難してたんでしょうね。
読み逃げ屋
2017/04/21 17:15
1008さん、こんにちは。
御船が政府軍に取られたので、今の県道57号線を使って、途中から日向往還に入ったんでしょうね。
けが人などは、荷車に載せて、牛とか、半ば強制的に徴用した一般人(軍夫と呼ばれた)が牽いて行ったらしいです。
江津湖の東側では激戦があっているので、西側でも何かあってるかもです。
のぶ
2017/04/21 18:16
読み逃げ屋さん、こんにちは。
一般人が書いた当時の日記によると、戦場になりそうになったら、離れたところの親戚とか知り合いのところに疎開していたようです。そんでもって、帰ってみると、陣地などに使えそうな雨戸や戸板は盗られてしまって、最悪、全焼とかになっていたようです。
のぶ
2017/04/21 18:19
西南の役は、熊本がメインって思うくらい色々な場所が戦場になっていますね。
西郷どんの祖先は菊池一族の末裔ですが、どんな気持ちだったのだろうか…。
ヘイホー
2017/04/21 20:58
ヘイホーさん、こんばんは。
西南戦争では、本当に熊本全域に渡り戦闘が起こっていますね。西郷どんは自分の身体に菊池一族の血が流れていることは十分意識していたのではないかと思います。ただ、わたしの推測では西南戦争の後半のあたりは西郷さんは精神を病んでいたのでは?と言う気がしています。
のぶ
2017/04/21 23:04

コメントする help

ニックネーム
本 文
わが家も戦場?「城東会戦」 くまもと自転車紀行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる