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zoom RSS 西南戦争史跡巡り・其の参

<<   作成日時 : 2017/03/18 16:39   >>

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薩摩隼人の方々と西南戦争の史跡を巡る第三弾。

第一弾は薩軍川尻到着から熊本城総攻撃まで。

第二弾は植木の戦い、木葉の戦い、そして高瀬会戦。

そして最終回となる今回は西南戦争のハイライト、田原坂の戦い!

ところが直前になって急に都合が悪くなったそうで、残念ながらヘイホーさんが欠席。

そこでニューバイクのこくろさんと藤崎宮で待ち合わせ、
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県道1号線、31号線(途中、ゆうかファミリーロードも)を走り、木留で「ともパパ」さんと落ち合う。

木留の薩軍本営跡、
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熊本隊本営跡、
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薩軍病院跡
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を皮切りに、旧道を走って
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吉次峠、立岩、横平山、そして田原坂周辺の史跡を見て廻った。

例によって廻った所を編集して・・・・



高瀬の会戦で敗退した薩軍の一部と熊本隊は吉次峠に陣地を築いた。

熊本隊の一番小隊長・佐々友房は、熊本方面への唯一の軍隊のアクセス路である田原坂およびその周辺を見渡すことができ、なおかつ小天から木留への間道が走るこの地が守りの要であると考えていた。
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高瀬の会戦の後、木葉を掌中にした官軍は、その吉次峠を目指して、まずは3月3日、峠への途中にある立岩に攻め入り、薩軍の砲台を落とし、替わって大砲を据え、吉次峠の攻撃の起点とした。
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(立岩・薩軍砲台跡)

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(周辺の蜜柑畑には薩軍兵士の墓が点在)


吉次峠を護る熊本隊および薩軍は3月4日から始まった政府軍の度重なる攻撃を果敢に跳ね返し、多くの戦死者を出した政府軍にとってはこの峠は「地獄峠」となった。
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(「佐々友房死守の地」の碑)


吉次峠のすぐ横にある半高山(はんこやま)でも激戦が展開された。
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そんな中、西郷隆盛の側近中の側近である薩軍一番大隊長・篠原国幹が戦死。
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篠原は赤裏の外套に銀装刀を装い、陣頭に立って部隊を指揮した。
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(こんな感じ?)


そんな篠原を見知っていた官軍の江田国通(薩摩藩出身)は部下に命じて篠原を狙撃させた。弾は篠原に命中した。そして江田もまた薩軍の反撃で命を落とした。

政府軍は吉次峠の攻略を一旦諦め、田原坂の攻略に集中することにした。

3月4日に開始された田原坂の戦いでも当初、政府軍は苦戦を強いられた。

田原坂は長さ約1.5q、標高差約80mの緩やかな坂である。
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しかし道は緩やかに蛇行し、低い切通しとなっている箇所が多く、しかも周辺は竹林や雑木林で伏兵を置きやすく作ってある。
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築後・玉名方面から軍備を運ぶことができる唯一の道である田原坂は、加藤清正が北西の守りの要として作っておいた要害であった。

この難所を攻略するために、政府軍は田原坂と西側に平行した二俣台地から横平山にかけて攻略を開始。
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ここでも薩軍の激しい抵抗に遭い、特に横平山では白兵戦に持ち込まれて政府軍は多くの死傷者を出した。

政府軍の兵士の多くは徴兵された農民で、性能に勝る鉄砲での銃撃戦では優位にたてるものの、剣術の経験が浅かった。一方、薩軍および熊本隊は全員が士族の出で、しかも戊辰戦争などで実戦経験も豊富な剣術の使い手が多く、白兵戦になると圧倒的に薩軍が有利であった。
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そのため、政府軍は士族出身の剣術に優れた者からなる「抜刀隊」を作り、白兵戦に持ち込んだ薩軍に対抗した。
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(左側が警視抜刀隊の制服)
こうして激戦の果てに3月15日遂に横平山を落とした。

横平山の麓にある「薩軍兵站地跡」の湧水は両軍の負傷兵の血で赤く染まったと言われる。
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横平山の山頂には慰霊碑が建てられており、
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その近くには薩軍兵が籠った塹壕の跡が残っている。
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二俣台地を制圧し、数カ所に砲台を築いた政府軍は
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まずは砲撃を加え、続けて歩兵を突撃させる攻撃でじりじりと薩軍を後退させた。

3月20日、田原坂にほど近い七本柿木(ななもとかきのき)の薩軍陣地
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(この時亡くなった約200名の高鍋隊兵士を偲んで墓碑が建てられている)
を側面から攻め落とし、これをきっかけに、ようやく田原坂を攻略し薩軍を敗走させた。

田原坂の戦いの17日間で膨大な量の弾丸が使用され、
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薩軍、政府軍ともに多くの死傷者を出した。西南戦争でも最大の激戦地とされる田原坂は現在は公園として整備され、西南戦争で命を落とした約14000名の兵士の名を刻んだ慰霊塔をはじめ、
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一昨年11月にリニューアルされた資料館や、
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弾痕の家
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などが当時の戦いを偲ばせる。

そして新たに造られたテラスから北を眺めると、三の岳の手前側に、先ほど廻って来た二俣台地、横平山、半高山、吉次峠が見えた。
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田原坂を制圧した政府軍はその日の内に一気に熊本城まで攻め込もうとしたが、植木町荻迫や向坂で薩軍の激しい抵抗に遭い、多くの死傷者を出し、後退した。

植木町荻迫の薩軍戦没者の墓、
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明徳官軍墓地に建てられている122の墓石のうち、
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ほとんどがこの日の植木での戦闘によるものである。


最後に植木のセブンイレブンで休憩して流れ解散となった。

こくろさん、ともパパさん、お疲れ様でした。
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鹿児島県人のサイクリスト、こくろさん、ヘイホーさんとの西南戦争史跡巡りはこれにて一旦区切りをつけるが、田原坂の戦いの後、県下全域に及んだ戦跡については暇を見つけては今後も継続的にレポートしたいと思っている。

本日の走行距離:56.0q

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
本日は、ありがとうございました。
3部作完結ですね。
戦いに合わせてのルート選択。
素晴らしかったです。
また、次回作を期待しておきます。
こくろ
2017/03/18 17:52
今日は急遽欠席してしまい、申し訳ございません(T_T)
最終章にふさわしいサイクリングの内容ですね‼
いつか、案内してください♪
また次回はよろしくお願いします^^
ヘイホー
2017/03/18 18:40
田原坂の戦いでの緊迫感が伝わってきました。壮絶な会戦であったようですね。
写真も実際に撮られているのには本当に驚きました。よく探されたな〜と感心しました。
アンカー星人
2017/03/18 23:22
のぶさんのレポートをきっかけに
ほんと大まかですが、西南戦争の時系列と場所を調べてみました。
断片的だった西南戦争を少しだけ繋ぎ合わせられました。
一応このシリーズは区切りとの事ですが、まだまだ史跡はいっぱいですね。
みきたか
2017/03/19 05:10
こくろさん、昨日はお疲れ様でした。
玉東町から植木にかけては西南戦争の史跡が山ほどありますので、どれを選択するか悩みました。なるべく時間軸に沿ったコース設定にしましたが、これもかなり難しかったですね。でもそれだけに強く印象に残りました。
それはさておき、ニューバイク、いいですね!わたしのクロモリは重いです(泣)。
のぶ
2017/03/19 08:41
ヘイホーさん、おはようございます。
昨日はご一緒できず、大変残念でした。延期も考えましたが、なにせ、「旬」でしたので、決行いたしました。また別の機会にヘイホーさんも同じコースでご案内したいと思っています。
気候も良くなってきますので、次回からは距離を伸ばしたいですね。
のぶ
2017/03/19 08:46
アンカー星人さん、こんにちは。
田原坂から吉次峠にかけては、おそらく当時とあまり変わらない風景が残されているようなので、戦いのイメージが湧きやすいです。加えて、リニューアルされた田原坂資料館では迫力あるプレゼンテーションがあり、戦場にいるかのような雰囲気を味わうことができました。
のぶ
2017/03/19 09:16
みきたかさん、こんにちは。
玉東町〜植木〜山鹿にかけては多くの西南戦争関係の史跡がありますが、三分の二ほどしか廻れていません。その他にも県下全域に渡って史跡が点在しているので、時間をかけて廻って行きたいと思っています。
のぶ
2017/03/19 09:19
なぜ田原坂で? 
と思っていましたが、なるほど、納得です。
しかし、昔の人の戦略って、奥が深いですね。
こくろさん、ニューバイクはしばらく気を遣うでしょうね。
グラベルなどは当分無しかな?
こちらは、あっさりとグラベルに進んで行きましたが(笑)
1008
2017/03/19 20:46
1008さん、こんにちは。
結局、熊本城総攻撃では薩軍が、田原坂では官軍が、加藤清正に苦しめられた訳です。清正、さすがですね。
こくろさんの新しいカーボンバイクは、それまでのバイクと比べると、乗り心地も軽さも全く別の乗り物のように素晴らしいそうです。わたしもニューバイクが欲しくなってしまいました(笑)。
のぶ
2017/03/19 22:25
田原坂の戦いとしては、ほぼ決着が付きましたね。これからが大変ですよ。白山までの退却戦がまってます。
流石に退却戦の史跡巡りをサイクリングしてたら凄い事に為りそうなので、後はネット上でさらりと読んでみます。
読み逃げ屋
2017/03/20 14:04
読み逃げ屋さん、こんばんは。
西南戦争の戦跡は熊本だけでも県下全域に及ぶので、全部自転車で廻ろうとすると大変ですね。折角なので時間を見つけて少しずつは廻りたいと思いますが、宮崎、鹿児島となると車載・輪行でないとまず不可能。でも元気なうちに廻ってみたいと思っています。
のぶ
2017/03/20 22:26

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