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zoom RSS 探訪「熊本隊」

<<   作成日時 : 2017/02/12 19:59   >>

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西南戦争の勉強をしていたら、色々と知らないことが出てきた。昨日と、今日、寒くって近場のポイントを廻って来たので、これまで集めていた画像も加えてレポートを・・・。

『政府に尋問の筋あり』との大儀で熊本へ向かった薩軍に同調する集団が九州各地に興り、薩軍に加わった。

熊本でも、熊本隊、協同隊、竜口(りゅうこう)隊、人吉隊が薩軍に合流したが、その中で最大だったのは隊長・池辺吉十郎率いる1300名の熊本隊だった。

彼らは、熊本城内二の丸にあった藩校の「時習館」
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での朱子学教育を受けて来た学校党の士族で、薩軍蜂起の前から接触が始まっていた。
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(西郷隆盛から池辺吉十郎に宛てた書簡の一部)


薩軍が熊本へ到着すると、一部の反対はあったものの、行動を起こすことが決まり、熊本城への攻撃が始まった2月22日早朝、健軍神社前に1300人が集結。
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15小隊を編成し、薩軍に合流した。
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熊本隊は、最初、出町の往生院に本営を置き、京町口からの熊本城攻撃に参加。
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(往生院山門)

その後、高瀬の戦い、吉次峠の戦い
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(木留の熊本隊本営跡:4年前、初めて「熊本隊」の存在を知った。)
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(吉次峠公園の案内板)
に奮戦し、強く存在感を示したが、御船の戦いでは多くの死者を出した。

熊本隊の御船での野戦病院となった「法光寺」では
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寺内に「丁丑戦死之墓」が建てられ、西南戦争で戦死した熊本隊士の氏名が刻まれている。
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(明治十年の干支が「丁丑(ひのとうし)」だったので西南戦争のことを「丁丑(ていちょう)戦」とも呼ぶ)


その他にも御船では妙見坂の墓碑には11名の熊本隊士の名が刻まれており、
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国道445号沿いの「東禅寺」には
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3名の熊本隊士の墓石が建てられている。
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熊本隊はその後も薩軍と行動を共にして矢部、馬見原、椎葉、人吉と転戦を続け、8月17日宮崎県長井村(現・北川町)で降伏し、『西郷の勝利を予測し、熊本での発言を増し、民権論を抑えて、欧米の横暴を排する』ことを目論んだ熊本隊の夢は露と消えた。

参謀以上のものは長崎で処刑され、隊長の池辺吉十郎は居を構えていた横島の山頂墓地に眠っている。
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副隊長の松浦新吉朗は遺言通り、武蔵塚にある宮本武蔵の墓の、
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小道を隔てた東側の隣で眠っている。
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(復旧はまだまだずっと後でしょうなぁ)


重傷であったことで処刑を免れた佐々友房は、獄中で『青年子弟を教育し、国家有用の人材を養うことが今日の急務である』と決意し、明治12年に出獄後、濟々黌の前身である「同心学舎」を設立。
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また、尚絅高校の前身である「濟々黌付属女子学校」も設立し、その後は言論界、そして政界にも進出した。

佐々ら熊本隊の生存者が熊本隊の戦死者の追悼と旧事を追懐するために明治18年に手取本町に立てた「丁丑感舊碑(ていちょうかんきゅうのひ)」が、佐々友房が眠る小峯墓地の墓
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のすぐ近くに移設されている。
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移設に際して、左右に『自誓書』と『挙兵終始』の2碑が加えられ、当時の彼らの思いを今に伝えている。
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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
いつもながらの調査と現場巡り。
西南戦争跡を見かけた時に今まで以上に興味が出そうです。
みきたか
2017/02/12 20:16
寒い日が続きますね〜
西南戦争にかかわらず、状況によっては身内や知り合いと戦うことになる事もあった時代。
なんともやり切れないです。
お亡くなりになった方達、記録が残っている方もいれば、消息不明の方も多いかと。
混乱の中で、お墓に入られただけでも幸せだったでしょうね。
1008
2017/02/12 20:57
みきたかさん、こんばんは。
いやー、やっぱり西南戦争は、登場人物が多く、舞台も広いので調べても調べてもキリがないほどです。それでも熊本市周辺の戦闘では馴染みのある地名が出てくるのでついつい熱中してしまいます。今年は西南戦争からちょうど140年目なので、頑張って勉強しています。
のぶ
2017/02/12 21:39
西南戦争は本当に奥が深いですね。
色々な場所でストーリーがありますね。
鹿児島出身ながら知らないことばかりです。
昨日、今日ととても寒かったですね。
早く春になって欲しいです(T_T)
ヘイホー
2017/02/12 21:45
1008さん、こんばんは。
昨日今日と、陽が照ってると、そこそこなのですが、陽が陰ると途端に寒くなって、コンビニで暖をとりながら走っていました。
西南戦争では、官軍の場合は一人一人の墓石がありますが、薩軍の場合は個人の墓石は非常に少ないですね。自分の本懐を遂げられず、しかも故郷から遠く離れた場所で戦死するのはやっぱり可哀想ですね。
のぶ
2017/02/12 21:46
ヘイホーさん、こんばんは。
ほんと、奥が深いです。それなのに、これまで、何にも知りませんでした。
勉強すればするほど知らなかったことがでてきて、困りもんです。
鹿児島でも、調べると、かなり奥が深そうですね。
のぶ
2017/02/12 22:53
もの凄いリサーチ力もさることながら、ちゃんと実際に撮られた画像があるんですね。
いや〜、びっくりしました。
また、こんなにあちこちに墓碑が存在しているとは・・・かなり勉強になりました。
アンカー星人
2017/02/12 23:27
歴史的事件の少ない熊本では、西南戦争と言えば大事件ですよね。
以前、郷土史家の書いた本を読み漁った事があります。何故元熊本鎮台司令長官の桐野利秋が熊本城は簡単に落とせる。と言う様な発言をしてたのか。神風連の乱に参加した人達と一年後の西南戦争に、参加する人達の違いや薩軍に軍旗を奪われた乃木希典が後の乃木将軍だったり、西南戦争を挟んで興味深い出来事が多い様な気がします。

それにしてもこれだけ史跡を巡るとは、流石です。自転車ならではの機動力ですね。
読み逃げ屋
2017/02/13 18:47
アンカー星人さん、こんばんは。
西南戦争については、比較的ネットに情報が豊富ですので、リサーチは割に手がかかりません。ただ実際に自転車で回るのは大変ですね。目標とする史跡を探し出すのに手間取ることも多く、結果的に何度か回って集めた画像をまとめてレポートするやり方に落ち着きました。
のぶ
2017/02/13 21:00
読み逃げ屋さん、こんばんは。
確かに、死者の数といい、範囲の広さといい、かかった時間といい、熊本県で歴史上最大級の事件のひとつですね。今回、鹿児島県人の方々とは3回に分けて史跡巡りライドをする予定ですが、その他にも数回のスピンオフ的レポートをして行こうと思っています。西南戦争関係の史跡は、道が狭いところとか、駐車場のスペースに乏しいところも多いので、自転車は有効なツールになりますね。
それくらい西南戦争には逸話が多いですね。
のぶ
2017/02/13 21:11
私が住んでいる阿蘇では、二重の峠と滝室坂が舞台になったようです。二重の峠では、会津の佐川官兵衛さんがお亡くなりになったと知り、歴史の繋がりにびっくりしました。
二重の峠では、地元農民が政府側で偵察に行き、つかまって薩摩側に斬首されたこともあったようです。その方を弔うと薩摩側に咎められるため、地元の人達は二の足を踏んでいたところ、西願殿寺に逗留していたお坊さんが弔いをしてくれたそうです。そのお坊さんに感謝し、地元の方で建立したお寺が車帰地区にあると地元の方々にお聞きしました。これも歴史なんだと妙に心に残りました。
パナモリ駅長
2017/02/19 10:57
パナモリ駅長さん、こんにちは。
西南戦争関係の阿蘇の史跡は、サイクリングの時に見かけて、「阿蘇でも戦いがあったんだぁ!」と知りました。阿蘇の農民一揆もからんでいるようで、本当に奥が深いようですね。そのうちに阿蘇の西南戦争関係の史跡も数回に分けて廻ってみたいです。その際には情報を教えてください!よろしくお願いします。
のぶ
2017/02/19 17:08

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