くまもと自転車紀行

アクセスカウンタ

zoom RSS 漱石の旧居巡り

<<   作成日時 : 2016/12/03 20:30   >>

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 6

今月で没後100年となる夏目漱石。
画像
(熊大構内の漱石像)


漱石は、明治29年(1896)4月、第五高等学校の英語科講師(後に教授に昇格)として赴任してから、明治33年7月、英国留学のため帰京するまで、4年余りを熊本で暮らした。

その4年の間に6度も引っ越したのは有名な話。その中で、内坪井に現存する5番目の家と、水前寺成趣園の裏のジェーンズ邸の隣にある3番目の家は知っているが、他の家のことはよく知らない。

そこでネットで調べて、土曜の午前の仕事が終わってそれらを廻ることにした。


明治29年4月13日、漱石は上熊本駅(旧・池田駅)に降り立つ。
画像


駅前で人力車を拾い、京町を経由して、
画像
新坂からの眺めに「森の都だ!」と叫んだらしいが、今ではビルの方が目立つ。
画像


坂を下り、坪井立町を通って、迎えに来た同僚・菅虎雄の薬園町の家へ。
画像


ここでしばらく仮住まいをした。

「市中や君に飼はれて鳴く蛙」


第一の家「光琳寺の家」(明治29年5月〜9月、家賃8円)は現在の銀座通りのホテルサンルートのところに立っていた。
画像
画像


裏には森鴎外の「阿部一族」にも出てくる光琳寺があった。

「すずしさや裏は鉦うつ光琳寺」

6月9日この家で鏡子夫人と簡素な結婚式を挙げる。
画像


「衣更へて京より嫁を貰いけり」

ところが、すぐ隣が墓地とあって、鏡子が嫌がり、転居。



第二の家「合羽(がっぱ)町の家」(明治29年9月〜30年7月、家賃13円)は現在の熊本市坪井にあった。
画像


明治10年の西南戦争で周辺の家の多くは焼け落ち、その影響で新築で部屋数も多かったものの、建物の造りは良くなく、下宿屋の様だったらしい。

その割には家賃は割高で、漱石はうっぷんばらしの句を作った。

「名月や十三円の家に住む」

ちなみに当時の漱石の月給は100円(高等官6等)。



第三の家「大江の家」(明治30年9月〜31年4月、家賃7円50銭、現・新屋敷1丁目)

白川小学校の裏、大きなマンションの敷地内にあった。
画像


「傘(からかさ)を菊にさしたり新屋敷」

この家の家主・落合東郭氏は当時、著明な漢詩人であり、明治天皇の恩召にて宮中に召されて明治天皇、大正天皇、昭和天皇の三代にわたり侍従を務められという。

当時の旧居は水前寺成趣園の裏に引っ越し、保存されている。
画像

普段は建物内に入ることはできないが、震災後は、裏のジェーンズ邸が崩壊してしまったので、
画像
倒壊を免れたこの旧居の建物は開放されていて、ジェーンズ邸の分の展示物も含めて係の人が親切に説明してくれる。
画像


明治30年、結婚して初めての正月をこの家で迎え、鏡子はおせち料理を作った。しかし、下宿していた漱石の同僚や学生が食べ尽くしてしまい、年始客が来た時には出す料理がなくなってしまった。夫婦は新年早々大げんかをし、これに懲りた漱石は、次の年、年始客からの逃避を企てる。これが「草枕」のモデルとなった小天旅行というエピソード付き。

漱石も鏡子もこの家を気に入っていたが、家主の落合氏が帰熊したため、止む無く転居。



第四の家「井川淵町の家」(明治31年4月〜9月、家賃10円)現・熊本市井川淵町1

「颯と打つ夜網の音や春の川」

白川に架かる明午橋の畔にあったが、戦災で焼失。現在明午橋の架け替え中の工事で付近に立ち寄るのは困難な状態。
画像


この家では鏡子がヒステリーを起こし、白川に入水自殺を図り、危ういところを投網の猟師に救われる。

そんな事もあったため、川に近いことを漱石が嫌い、転居。



第五の家「内坪井の家」(明治31年7月〜33年3月でここが一番長い、家賃10円)現・熊本市内坪井町4

鏡子は、熊本で住んだ家では部屋数も多く、庭も広くこの家が一番良かったと言う。
画像


現在、「夏目漱石記念館」となっているが、震災の影響で現在建物内は立入禁止。
画像
庭の一部のみ開放されている。
画像


この家で長女・筆子が誕生。
画像
(筆子の産湯の井戸)


「安々と海鼠の如き子を生めり」



第六の家「北千反畑の家」(明治33年3月〜7月20日、家賃不明)現・熊本市北千反畑町3

熊本での最後の家となったのは藤崎宮参道脇にある。
画像


「鶯も柳も青き住居かな」

「菜の花の隣ありけり竹の垣」

この家に3か月住んだ後、明治33年7月に東京へ。9月には英国留学へ旅立った。

漱石が熊本で住んだ家あるいはその跡地を廻って、それらが自分の日常の生活圏内にあることを再認識し、漱石の事がより身近に感じられた。



今回訪問した場所



今回、参考にしたサイト

「KKT・漱石と熊本」


「東京紅團・夏目漱石散歩(上)」

「東京紅團・夏目漱石散歩(中)」

「東京紅團・夏目漱石散歩(下)」

「GPA Talks・漱石の犬 獅子狗」

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
夏目漱石は、熊本で6回も引越ししたんですか⁉
凄いですね。
偉人の軌跡を辿るのも面白そうですね。
歴史大好き人間にはたまらないです。
ヘイホー
2016/12/04 10:07
夏目漱石の熊本での足取りが集約された内容で、かなり勉強になりました。

倒壊してしまったジェーンズ邸の写真には驚きました。
アンカー星人
2016/12/04 12:14
ヘイホーさん、こんにちは。
地元の史跡も、日常の中にあると「今さら・・・」と思っていましたが、やっぱり調べて探してみると面白かったです。同じように日常の中にある史跡についても掘り起こして調べてみたいです。
のぶ
2016/12/04 17:33
アンカー星人さん、こんにちは。
漱石の事は、わたしも勉強になりました。今度の事でも知らない事ばかりでした。今年は漱石没後100年そして来熊120年と言う事で色々と催し物もあったようです。それもあって少しだけ関連史跡を廻ってみました。
のぶ
2016/12/04 17:37
夏目漱石、もう没後100年なんですね。
その時に住んでいた家も震災の影響を受けたところがあるようで、
なんとか復旧して欲しいものです。
しかし、こうしてみると身近に感じられますね。
1008
2016/12/04 22:36
1008さん、こんばんは。
今年は、熊本に半世紀以上住んでいて、5番目以外の旧居跡地を訪れたのは今回が初めてでした。ほとんどが、すぐ近くを気づかずに通っている所ばかりでした。でも、一度認識すると、不思議なもので漱石が身近に感じられるので不思議です。
のぶ
2016/12/05 20:33

コメントする help

ニックネーム
本 文
漱石の旧居巡り くまもと自転車紀行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる