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zoom RSS 「最後の仇討ち」

<<   作成日時 : 2016/02/18 18:35   >>

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午前8時過ぎにクロモリロードバイクで出発。藤崎宮を経由して県道1号線を走り県道31号線に進んで、貢町の交差点を左折して「ゆうかファミリーロード」を走る。
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硯川から再び県道31号線に入ってアップダウンを走り、国道201号線に突き当たる所のセブンイレブンでエネルギー補給。

国道201号線を玉名に向かって走るが、玉名で昼食を摂るには早すぎるので、青木地区にある熊野座神社に回り道。
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ここは「磨崖梵字群」が有名なんだそうな。
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それと、「ナギの木」も有名らしいが、残念ながら落葉樹。
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そこから西へ走り、新幹線の新玉名駅
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を経由して市街地へ来たが、まだ早いので、高瀬地区にある大覚寺の宝篋印塔を見たり、
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高瀬裏川緑地公園を散策したり。
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やがて11時になったので、「高瀬蔵」の
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二階にあるインド料理の「ビスヌ」へ。
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ランチセットをいただく。
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ここは少し高いけど、ナンがモチモチしていて美味しい。

インド料理屋にはあちこち行くが、ここのナンが一番美味しいと思っている。

ところで、カレーが大好きな割にはインドの事を何も知らないわたしめにとっては、「インドカリーにナンは付き物」と思っていたところ、どうも違うらしい。

インド生活の経験豊かなインド食堂のマスターに伺ったところ、なんと、インド人はあまりナンを食べないんだとか。

その理由は、まず、一般家庭や通常のレストランではナンを焼くためのタンドール窯を設置するスペースがもったいないし、室内が暑くなってたまらないから。
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(ビスヌ玉名店のタンドール窯)


それに、ナンの材料となる精製した小麦粉がかなり高価だから。

それでインドの人は全粒粉で作る、薄い円形の「チャパティー」を通常食べるんだとか。

いかんいかん、今日は「ナン」の話ではなくて、「仇討ち」の話だった。

繁根木(はねぎ)川沿いの県道4号線を上流に走り、
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石貫地区に入り、右手に案内の標識が目に入る。
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ここで「日本最後の正式な仇討ち」があったらしいので見に来たのだ。路地を100m余り進むと、何やら薄暗い谷間の林の中へ。
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そこが「日本最後の正式な仇討ち」が行われた場所らしい。
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その奥には「太刀洗いの池」というのもある。
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案内板によると・・・

 幕末の文久元年(1861)年江戸の細川藩邸で、入佐唯右衛門が下田平八と中津喜平の二人を殺し、逐電(逃げて姿を隠す事)した。 残された平八の妻、田鶴(たづ)、喜平の妻、寿の(じゅの)の両家では、苦しい生活に追われながらも仇討ちを誓い再び家名を立てんと遺児らには文武に励ませた。 10年後、唯右衛門が山口藩に捕らえられ、熊本藩に送られることが分かった。田鶴や寿の、平八の遺児らは、護送の役人(石原運四郎)に頼んで、ここ宇津呂木谷に連れ込んでもらい本懐を遂げた。時に明治4年4月16日(1871)年、二年後の明治6年2月7日に太政管布告で仇討ち禁止令公布されたので、これが日本最後の仇討ちとなった。
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(すいません、あくまでもイメージです)


補足すると、この事件から3か月後、熊本藩はこの仇討ちを賞賛して家督相続を許し、金子(きんす)を与えた。全国的に見ると、この後にも数件の仇討ちがあったが、仇を討った方も犯罪として裁かれており、「日本最後の正式な仇討ち」と認定されていらしい。

県道に戻り、西へ800mほど走った所にある廣福禅寺へ。
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仇を討たれた入佐唯右衛門はここに仮埋葬された。本堂の裏手の、その場所に供養塔が建てられている。
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(彼にも言い分はあるだろうに・・・)


帰路は県道4号線をさらに北上し、
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県道3号線へ右折。
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このまま県道3号線を走って、江田の交差点を右折して道の駅きくすいの前にあるセブンイレブンで休憩。

その後、江田川沿いの河川管理道路をしばらく走り、
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萩原地区から再び県道3号線を植木方面へ。
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植木から高速沿いの道に入り、
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須屋を経由して坪井川沿いの道に入り、熊大黒髪キャンパスを突き抜けて桜山神社へ。
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ここは神風連の乱で命を落とした120余名の志士たちの霊が眠っていることで知られている。
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「日本最後の正式な仇討ち」で重要な一役を担った護送の役人の石原運四郎。彼の霊もここで眠っている。
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最後の仇討ちに関わった人達の数奇な運命に想いを馳せた。

本日の走行距離:95.6q

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なお、今回の仇討ちについては、このサイトが一番詳しい。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
のぶさんのblogを訪れた頃は水場巡りなどが多くて共感。
水場巡りが殆ど終わってかなりマイナーな領域に。
今日は『最後の仇討ち』ですか!
仇討、諸々と考えさせられるテーマですが、
とりあえず自分には直接関係無し。
で、ついていける話題は『インド料理』でした^^;
みきたか
2016/02/18 19:34
ほうほう、ビスヌのナンがお勧めのようナンですね。
また宿題が増えてしまいました(笑
しかし、最後の仇討ちが熊本で、明治になってからとは知りませんでした。
てっきり、明治になって仇討ちは廃止になったと思っていました。
1008
2016/02/18 20:43
いろいろと勉強になりますね! 仇討ち禁止令というものが公布されていたとは初めて知りました。 太刀洗いの池は、凄くリアルな感じがします。
ビスヌのナンは美味しいですね。 しかし、インド人は食べないんですね。 ちょっと以外で、これまた勉強になりました。
アンカー星人
2016/02/18 21:28
みきたかさん、こんにちは!
仇討ちをテーマにした是枝監督の「花よりもなほ」を観ていたので、ついつい熱中してしまいましたが、今の時代ではピンとこないですね。わずか150年前の事とは思えないほどです。
実を言うと、もともと玉名のビスヌにナンを食べに行くのが主目的だったんですが、ついでに見ると来ないかな?と探していたら「最後の正式な仇討ち」の存在を知ったのです、はい。
のぶ
2016/02/18 21:53
1008さん、こんにちは!
わたしの場合、SANJIのようなカリカリ系のナンより、しっとり系のナンの方が好きナンです、はい。熊本インターのロータスもしっとり系だったのですが、どうも閉店してしまったみたいで、残念です。
わたしも明治になったらすぐに制度が変わったと思っていたら、仇討ちが禁止されたのは6年後だったんですね。現代の感覚からするとのんびりしています。
のぶ
2016/02/18 22:04
アンカー星人さん、こんにちは!
日本で最後の仇討ちが玉名であったこと自体は数年前から知っていたのですが、伊倉あたりと勘違いしていました。今回、石貫にあることが分かったので、ナン食いがてらに行きました。詳しく調べてみると色々と勉強になることが多く、現地にも行ってみてみたくなるので、それがわたしのサイクリングの原動力になっているようです。
ビスヌは山鹿の温泉プラザにもあったのですが、閉店しちゃったみたいですね。
のぶ
2016/02/18 22:11
おぉ物騒なタイトルだなと思ったら
こう言うテーマでしたか(^^)
全然知りませんでした(笑)
私もみきたかさんと同じくついて行けるのはナンの話でしたが(^_^;)
ここで最後の仇討ちと思うとおどろおどろしく見えますでしょうか?!
あちこち行かれたみたいですがよく時間足りますね?凄いです!
お好み焼きSD
2016/02/18 23:04
お好み焼きSDさん、こんにちは!
是枝監督の「花よりもなほ」によると、仇討ちも、計画当初から藩の認定を受けておくと、補助金まで出たそうで、当時は色んな約束事とかがあったんでしょうね。
何にしても人を殺すのですから様々なドラマがあったと思いますし、当時は人づてで話が広がるうちに尾ひれがついたりしたんでしょうね。
それにしても、現場の「うつろぎ谷」は、おどろおどろしかったです!
のぶ
2016/02/19 08:10
私も明日は長崎へ仇討です。去年は延々と続くアップダウンに頭が変になりそうでしたが今回は楽しく走りたいと思います。
ただ、毎回「長崎は今日も◎◎だった」なのは運命でしょうか?夜更け過ぎに◎◎へと…にならないといいのですが…
okd
2016/02/19 15:26
okdさん、こんにちは!
え!?長崎に仇討ちに行くのですか?返り討ちに会わないようにお願いします(笑)。先ほど、玉名600kmのコースを拝見しましたが、確かに佐賀平野以外は平坦路は、諫早湾の干拓堤防道路くらいしかないような細かいアップダウンのあるコースですね。しかもこの天気予報・・・。しかし、それだけにまたドラマが待っている予感もします。リザルトを見るのを楽しみに、無事の完走を祈念しています!
のぶ
2016/02/19 17:35
 公式な仇討ち?どんな時に仇討ち出来るのだろうか。仇討ちの届け出とか、仇討ち許可書など必要だろうか。などと気になって調べてみたら色々と手続きが必要だったようですね。又、仇敵が国境を越えて逃亡した時は、 その土地の領主に敵討の許可を願い出ねばならない等々。
と言うことは宇津呂木谷での仇討ちは、事後承認って事でしょうね。仇討ち制度は被害者感情に即してるようで、野蛮な行為で法治国家としてそぐわない。て事で廃止されたのかな。
  護送役人の石原運四郎もその後、神風連の乱に参加する等自分なりの強い意志のある人だったんでしょう。

宇津呂木谷ちょっと行ってみたくなりました。
読み逃げ屋
2016/02/20 09:22
読み逃げ屋さん、こんにちは!
なるほど、「公式の」というのを深く考えていませんでした。確かに「事後承認」って形だったのかもしれません。先進国では、個人レベルの「仇討ち」は禁じられているのかもしれませんが、国レベルの「仇討ち」なら「正義」の名のもとに堂々とまかり通っていますね。
幕末の肥後藩も、教育方針の違いで三派閥くらいに分かれていたので、元々の殺人事件の原因もそれに元を発していた可能性があり、護送役人の石原運四郎も殺された藩士たちと考えが近かったのかもしれません。
宇津呂木谷は、いかにもそれらしい場所でした。是非一度・・・。
のぶ
2016/02/20 15:39
玉名に「最後の正式な仇討ち」の場所があるなんて、全然知りませんでした!
色んな歴史を調べながら元気へ赴くというのも、面白そうですね!
実はこちらにも”浄瑠璃坂の仇討”の発端となった地があるのですが・・・近すぎて!(浄瑠璃坂は東京ですが)
今、仇討が許可されたら・・・エライ事になるかもですね!?
いやぁ〜、素敵な歴史考察行、ありがとうございました!
宮星
2016/02/20 20:47
宮星さん、こんにちは!
サイクリングで行く先の見どころを調べると、結局のところ、巨木か史跡か湧水になることが多いようです。中でも県北特に山鹿、玉東、方面は西南戦争関係の見どころが山ほどありますね。でも、確かに余りに近いと、かえってなかなか行かないもんです。
仇討ちは、「忠臣蔵」の、その後のもてはやされ方を考えると、当時の庶民レベルのイベント(と言ってしまっては失礼かもしれませんが)の第一級のものではなかったのですかね。
のぶ
2016/02/20 22:01

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