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zoom RSS 島原大変、肥後迷惑 その1

<<   作成日時 : 2015/03/08 16:55   >>

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4年前の東日本大震災の際に、かつて熊本も津波災害を受けていた事を知った。

約220年前の寛政4年、島原半島の眉山が大規模に崩落し、膨大な量の土砂が有明海に流れ込み、それによって生じた津波が熊本の海岸を襲ったもので、「島原大変・肥後迷惑」という言葉が残っているのを初めて知った。
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それでも、「大した被害ではなかったんだろう」としか思っていなかった。

一昨年の7月、たまたま立ち寄った宇土市網田で「寛政の津波供養碑」の案内板が目に入り、立ち寄ってみた。

そうして「島原大変・肥後迷惑」での死者は総計約15000名もいて、しかも、その内、肥後藩での死者が約5000人を占める大災害であった事を知った。

さらに調べると、網田の津波供養碑の他にも、供養碑や、津波の到達点を示す印(『津波石』などと呼ばれる)や伝承が数多く残されていることが判った。

そこで、津波により大きな被害を受けた肥後三郡(玉名郡、飽託郡、宇土郡)を、2回に分けて廻ってみることにする。


午前7時半過ぎにクロモリロードバイクで出発。明午橋経由で県道1号線に入り、上熊本方面へ。

そのまま県道31号線に入り、貢町から硯川町まではゆうかファミリーロードを走り、
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再び県道31号線を走って国道208号線を左折。

木葉を抜け、稲佐から右折。国道の喧騒から開放され、春を愛でながら木葉川沿いをのんびり走る。
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(溢るる涙の蕾から ひとつひとつ香り始める〜♪)


菊池川に突き当たって左折し玉名大橋を渡る。
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高瀬の交差点を左折して繁根木川を渡り、道なりに進んで右折して県道112号線に入り西へ。

岱明町に入り、扇坂の千人塚に到着。
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寛政の津波で、この塚の周辺では727名が亡くなった。溺死を免れた人々が肉親の亡骸を集め、仮にここ扇崎の墓に埋めた。その後、藩主の命でこの供養塔が建てられた。
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このような供養碑が当時の玉名郡、天明郡、宇土郡に建てられ、これを「一郡一基の供養塔」と呼ばれる。

さらに県道112号線を西へ走り、厳島神社の先から左折し、道なりに進んで長洲中学校の西側にある新山墓地へ。
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ここには長洲の沖合いで起きた海難事故などの慰霊碑がいくつか建てられているが、その中に寛政の津波の慰霊碑がある。

長洲町では津波により約600人が溺死し、長洲小学校近くの寺に埋葬されたが、明治24年に新山墓地に移され、昭和14年にこの『古墳改葬之碑』が建てられた。
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長洲の海岸から観る島原半島は、「涅槃像」にも例えられる。その左端、顔に相当する部分が寛政の津波の源となった眉山である。
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長洲の街中を抜けて、長洲町清源寺の加藤社(別名:遠見神社、通称:「清正公さん」)へ。
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ここの石段の上から二段目まで津波が押し寄せたという伝承がある。
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後の調査によるとここでの津波高8.6mと推測されている。

上から二段目の石段に立って、頭の中で当時の状況を再現しようと試みるも、なかなか難しい。
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続いて上沖洲の名石(めいし)神社へ。
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景行天皇の九州巡行にまつわる「女石」
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逸話の残るこの神社も津波の直撃を受けた。この際、鳥居や、境内の銀杏の枝に捕まって助かった人がいたとの伝承が残っている。
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ここでの津波高は約6mと推測されている。

続いて国道501号線に戻り横島へ。横島山の南側の麓、京泊の斜面に遺された津波石(津波の到達点を示す石)が法面工事の際に取り除かれ、農林水産省九州農政局の敷地内に展示してある。
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そしてその津波石があったところには印が残されている。
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ここでの津波高は9.6mと推測されている。

その後、国道501号線を走って天水町を抜け、
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河内町に入り、船津の蓮光寺へ。
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この寺の入口の脇に津波供養碑が立っている。
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この供養碑には、船津村、河内村、白浜村、近津村の四か村の罹災死者「人数765名」と刻まれている。

さらに船津の厳島神社の東参道方面に上っていく途中に、寛政7年乙卯10月建立の津波供養塔。
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さらに上って東参道横に、もうひとつ津波供養塔。
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宝篋印塔形の供養塔で、願主は熊本市坪井泰陽禅寺第8世太釣円忠、石工は対岸の肥前永石昌豊だということ。

また、河内町船津では、県道101号線を東へ1.5qほど上がったところに葛山(つづらやま)橋があり、
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この川床まで津波が達したという伝承がある。後の研究ではこの川床の標高は23.4mで、この値は肥後側海岸での最高水位であるらしい。

国道501号線に戻り、南へ走って河内町河内の塩屋郵便局前にも津波供養碑。
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自然石の供養碑で、「寛政4年壬子4月朔日」の紀年銘と銘文が刻まれている。

塩屋地区では東側に少し上がった谷口商店
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のところまで津波が来たという伝承があり、後の計測で、津波高は約14mと推測されている。

国道501号線に戻り、松尾西小学校から左折してしばらく走って松尾町梅洞の熊本水遺産「いんの川」
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の横の三叉路を東へ200mほど上ったところにある「浪先石」。
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大きな自然石の表面に30p四方の正方形に彫りこんで平面を造り、「浪先石」の三文字が刻んである。
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後の計測で、ここでの津波高は約15mと推測されている。

ふたたび国道501号線に戻り、坪井川の最初の橋を渡って小島小学校の正門へ。
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ここには一郡一基の、飽託郡の津波供養塔がある。
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最後に、坪井川沿いの道から井芹川沿いの道へ入り、本妙寺の大本殿へ。
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大本殿の左横にも寛政の大津波の翌年、宝篋印塔形の供養塔が建てられている。
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県道1号線に入り、県立体育館のところから朝来た道を戻った。

なお、今回の訪問地の詳細な場所については、熊本市役所文化振興課の担当の方、寛政の津波における津波被害調査の第一人者である熊本地学会前会長の堀川治城先生、および長洲町中央公民館の生涯学習課の方に親切に教えていただいた。
この場をお借りして感謝の意を表したい。
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本日の走行距離:99.9q

GPSのログは、ガーミンの操作ミスにより小島小学校付近で終了していた。
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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは!
どうやって調べたんだろう?って思いながら読み進みました。
なるほど専門家の方にお聞きしているんですね。
2年程のサイクリングで偶然に目についた案内板がきっかけ。
そのサイクリングはブッチャーKさんに案内された踊山神社がきっかけ。
何んとも綿々と連鎖していく自転車紀行に敬服です。
みきたか
2015/03/08 19:05
こんばんは。 島原大変、肥後迷惑の話は聞いていましたが、これほど高い津波と犠牲者の数までは知りませんでした。
わかってはいますが、自然の力は人間では歯が立ちませんね。
いつもながら、緻密な事前調査、恐れ入ります。
1008
2015/03/08 20:38
こんにちは!
今でもその名残が実際にあるとは初めて知りました。
あの辺りで15mというとかなり大きな津波ですね。
また一つ勉強になりました。
アンカー星人
2015/03/09 08:02
みきたかさん、こんにちは!
今回の事前調査は大変でした。訪問箇所が多く、しかも場所がよくわからないのが多く、松尾〜河内へは先月一度下見に行きましたが、いくつかわからない場所があり、その道の専門家の皆さんにメールや電話で教えていただいた次第です。
次の宇土半島周辺は下見もしてなくて、情報も少ないので心配です。
のぶ
2015/03/09 08:06
1008さん、こんにちは!
わたしは東日本の大震災まで「島原大変・肥後迷惑」の事は恥ずかしなら記憶に残っていませんでした。今回、その時の様子を実感しようと、被災の場所に立ってみましたが、遠くに見える眉山とその前に広がる穏やかな有明海からは、どうしても実感することができませんでした。おのれの想像力の乏しさに愕然としました。
のぶ
2015/03/09 08:14
アンカー星人さん、こんにちは!
ウィキペディアによると供養碑や津波石はまだたくさんあるはずなのですが、今回調べてその所在が判ったのは一〜二割程度でした。
それでもそれらを実際にまわると津波の凄さが少しでも実感できて、大変勉強になりました。
のぶ
2015/03/09 08:21
山の崩落でここまで甚大な津波が起きるなんて想像付きませんね。
人口も当時で言えばかなりの数になったんでしょう〜。
それにしても距離も100km越えのお勉強ライド、是非改めてご案内ください!
ST-
2015/03/09 09:04
ST−さん、こんにちは!
そうなんですよ。島原半島の山の崩落で、そんな津波が来るなんて、200年以上は経っているとは言いながら、実際廻ってみても、いまひとつピンとこない部分もあります。それでも、そんな津波の記録や供養碑が今でも残されているのには一種の感動があります。ご要望とあらば、いつでもご案内いたしますよ。
のぶ
2015/03/09 20:03
のぶさん、こんばんは。今回のライド先、思いっきり私の地元です(笑)小学校までは上沖洲に住んでいて、今の実家も清源寺です。名石宮20年以上振りに見ましたが、全然変わっておらず、とても懐かしかったです。NHKBSの日本縦断こころ旅に手紙を送った気分が味わえました(笑)(実際に火野さんはこころ旅で長洲町に来た事あるので尚更)そう言えば、私の父は地元で水道工事店を営んでいるのですが、以前、長洲町の配管工事で地面を掘り返した際に大量の人骨が出てきて、どうやら津波で無くなった方たちのものらしいと話していたのを思い出しました。それも踏まえて、のぶさんのブログで当時の津波の規模がどれだけ凄かったかというのが、良く分かりとても勉強になりました。ありがとうございます。
kou
2015/03/12 01:08
kouさん、こんにちは!
おお!そうだったんですね。長洲は熊本港からのフェリーの運航が始まる前はいつも長崎へのアクセス路として行きましたが、その後しばらく行ってませんでした。自転車でも玉名からひと足延ばさないといけないですもんね。
お父さんの工事中の逸話も興味深い(と言っては遺骨の方々には失礼かもしれませんが)ですね。まさしく、「一郡一基」の供養塔が建てられた程の未曾有の大災害だったんだと感じます。
それを実感しに行ったのですが、わたしの想像力のなさと、余りの天気の良さに、大災害の様子を余り実感できませんでした。お恥ずかしい話です。
のぶ
2015/03/12 08:08

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