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zoom RSS 「神」と呼ばれる軍人の所縁の地を訪ねて

<<   作成日時 : 2014/10/16 18:18   >>

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近々、豊後竹田を訪ねる機会があるので見どころを探していたら、軍神・広瀬武夫中佐を祀る「広瀬神社」が目に入った。

「軍神」と称される軍人なら熊本にも、松尾敬宇(けいう)中佐がいる。
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熊本県山鹿市久原出身。鹿本中学を経て、海軍兵学校を卒業(66期)。特殊潜航艇の訓練を受け、1942年(昭和17年)5月、シドニー湾攻撃に第二次特別攻撃部隊の特殊潜航艇艇長として出撃し、戦死した。

今日は松尾中佐の所縁の地を自転車で廻ることにする。

午前8時前にクロモリロードバイクで出発。東バイパスから北バイパスを走る。
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国道387号線(日田街道)に突き当り右折。すぐに県道37号線へ左折して、次の信号で左折して高速道路沿いの道路を走る。
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植木工業団地を抜けたところにあるソバ畑のほとんどが太陽光発電のメガソーラーになっていて、ちょっとガッカリ。
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小野川沿いの道に出て下流へ。

突き当りを左折し、少し走って合志川沿いの道へ入る。
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中富小学校のところをショートカットし、中富橋を渡り、県道138号線を走って来民の旧道を抜け、県道197号線に入り北へ。坂を上がって、不動岩の近くを走る。
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そこから1キロ足らずで松尾中佐の出身地、久原地区に入る。中佐がかつて通った三玉小学校が左手にあり、その正門前に「殉国の碑」が建っている。
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左側の砲弾型の碑には日清・日露戦争、右側の大きな碑には第二次大戦での久原地区の戦死者名が彫られている。

当然ながらその中に、松尾敬宇の名前も。
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そこから三玉小学校の東側の道をショートカットして再び県道197号線に入り、500mほど走ると右側にある「一つ目神社」。
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その100mほど先に松尾中佐の碑を示す標柱が建っており、案内に従って進む。
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やがて松尾家の墓地に到着。
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横には日・豪の国旗と石碑が建ててある。
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第二次世界大戦時の日本軍によるシドニー湾攻撃時、特殊潜航艇による攻撃は、松尾艇を含む3艇(2人乗り)にて行われた。1艇は防潜網に引っかかって身動きができず、そのまま自爆を遂げた。次の艇は輸送船を撃沈するも砲撃の損傷で未帰還(後にシドニー湾沖の深海底で発見)となった。最後の松尾艇は艇前方を岸壁にぶつけたことで魚雷発射管が故障したため攻撃出来ず、艇を米重巡「シカゴ」へ体当たりさせることで魚雷を爆発させようと図ったが、小接触におわり叶わなかった。そして松尾は部下の都竹正雄二等兵曹(戦死後海軍兵曹長)とともに拳銃で自決した。

その後、オーストラリア海軍により松尾艇を含む2艇は引き上げられ、
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遺体は海軍葬をもって葬られた。

シドニー市内では敵国の軍人を丁重に弔うことに反対の声も大きかったが、オーストラリア海軍司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド少将は部下に対し、以下の様に演説した。
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「私は敵国軍人を、海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。 勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼をつくすことが、なぜいけないのか。 勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。 これら日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も認めるべきであり、一様に讃えるべきものである。 このような鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには、相当の勇気が要る。 これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、果たして何人いるであろうか」

遺骨は当時の駐オーストラリア公使に託され、戦時交換船の「鎌倉丸」により日本へ帰国。
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1968年(昭和43年)4月、松尾の母・まつ枝は、招きによりオーストラリアを訪れた。
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シドニーでは海軍が出迎え、市内では大歓迎を受けた。19代オーストラリア首相ジョン・ゴートン、バート・ケリー海相と会談。また引き上げられた潜航艇が展示されている戦争記念館に到着すると、マッグレース館長より松尾が所持していた千人針が返還された。

こうして、この逸話は日豪友好の礎のひとつとなっているらしい。
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そこから少し北へ走り、右折し、坂を上って、久しぶりの首石トンネル。
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トンネルをくぐり、坂を降りて菊鹿の田園地帯を走り、坂を上って鞠智城へ。
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坂を降りて途中で左折し、菊池市街地を避け、県道133号線の菊池北小のところから菊池神社へ。
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生前、松尾中佐は菊池神社を深く崇敬し、出撃に際しては菊池神社の御守りと菊池氏ゆかりの「菊池千本槍」と呼ばれる短刀を携えたほどであった。

そのため境内の一角には彼の銅像が建っており、
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菊池神社歴史館(入館料300円は、ちと高い)には松尾中佐の遺品を展示したコーナーもある。
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日本が戦争をしなくて良い日が続くように神社にお参りし、帰路へ。

県道23号線を南に走って右折し、やがて菊池川沿いの道へ。しばらく走っていると、田上さん、持木さん、それに女性の3人グループに遭遇!

女性の自転車(シティーサイクル)の性能に合わせて菊池川沿いをのんびりサイクリングとのこと。

花房から日田街道に入り、坂を上り、道の駅 泗水の物産館の食堂で、馬カレー(530円)をいただく。なかなかのコスパ。
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当初は日田街道を走って帰るつもりだったけど、久しぶりにKSC(熊本シニアサイクリング倶楽部)の先輩方にお会いしたので、あの頃教えていただいた県道138号線を走って途中で右折し、農業公園の東側の道を走り、
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すずかけ台を抜け県道337号線へ出るルートで帰った。

本日の走行距離:81.4q

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今回はWikipedia「特殊潜航艇」から画像および文章を引用した。

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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。お久しぶりです。
すっかり秋めいた中、山鹿までお越しくださってありがとうございます(^^)
私の住まいの近くにそのお墓があり、松尾敬宇さんここらでは有名な方ですね。
あの時代の事を深く考えさせられる出来事だったと思います。
ちなみに松尾敬宇(えいう)ではなく(けいう)です(^^;
さらん
2014/10/16 23:04
こんばんは!
凄くしっかり リサーチされていますね。 大変勉強になりました! 
この近くに、あの戦艦大和に乗船されていた方貴重な方がいらっしゃいます。(ご健在の方は、現在お二人だとか。)
ワタクシの祖父も外国で戦死してますので、大変感慨深い内容です。
アンカー星人
2014/10/16 23:12
今回の内容、自分が幼少の頃に祖母から戦争の話を聞かされてましたが、
二度とこのような事は起こって欲しくないですね。
のぶさんが菊地神社にお参りされたので、少しは平和になってくれると思います。
1008
2014/10/16 23:21
さらんさん、こんにちは!
お久しぶりです。あの近くにお宅があるのですね。ふむふむ。
お墓から田んぼの中の道を上って首石峠の道に出ましたが、気持ちよかったです。
松尾中佐が戦死された後の話がドラマチックな展開ですね。
間違いのご指摘、ありがとうございました。早速訂正しました。
のぶ
2014/10/17 06:29
アンカー星人さん、こんにちは!
確か熊大の教授にも戦艦大和に乗っていて生還したという方がいらっしゃいましたが、残念ながら数年前に亡くなられました。
今回は、海軍兵学校に居た義父から何度も聞かされていました。義父は元気な頃は海軍記念日に松尾中佐の墓参りをしていました。
父はシベリア抑留組ですし、わずかひと世代上なのに戦争をしていたんですね。
恥ずかしい話ながら、やっぱりピンとこないのです、わたしには・・・。
のぶ
2014/10/17 06:36
1008さん、こんにちは!
神社参りが戦争の抑止に有効なら毎日でもお参りしますが、世界で観ると絶えずどこかで紛争が起こっていますね。
日本だけ平和であって良い訳ではありませんが、この平和が続いてほしいものです。
のぶ
2014/10/17 06:39
面白かったです。
途中で歴史資料を見ているような気持ちになっていました
毎回サイクリングにしっかりテーマがあって凄いです。
のぶさんならサイクリングしながら講義できそう
受けたい授業No,1ですね。

嫁さんの実家に行くと先祖の遺影が皆
軍服姿で20前後の若者なんです。
今では想像も出来ないほど過酷な時代
ほんの70年ほど前なんですよね

当時戦争に行かざるをえなかった若者が
今の日本を見たらどんな風に思うのでしょうね。
ハヂメ
2014/10/17 09:18
こんにちは。ちょうど「特攻の島」という回天特別攻撃隊のコミックを読んでいたので少しダブりました。近くなのでのぶさんのブログをガイドブックにバイクで行ってみようと思います。

特攻の島 http://urx.nu/d5do
原作者 佐藤さんのご厚意で5巻まで?無料で読めるようです。1巻に進んで"読む"でページが開きますよ!
KEN
2014/10/17 16:00
ハヂメさん、こんにちは!
先日はありがとうございました。
わたしのブログの内容のほとんどは、深い知識に裏付けられたものではなく、「そう言えば聞いた事がある」くらいの知識に、ネットを検索して付け焼刃の知識でレポートしています。
ただ、読んでいただく方に、なるべく解りやすく、そしてできれば「自分も行ってみようかな?」と思っていただけるように書くことに気を遣っています。

今回の内容は繊細な部分が多いですが、日本人として生きている上は避けては通れない部分ですね。

戦争の罪は人類に共通した部分が多いですが、特に先の大戦における日本軍の罪は、他国に対するものは別として、自国の兵士と一般人の命を余りに軽んじたことではないかと思っています。

アメリカの傘の下での平和ですが、この平和が崩れそうな将来の不安を感じる今日この頃ですので、こういうサイクリングもやってみました。
のぶ
2014/10/17 17:24
KENさん、こんにちは!
おおっ!何だかとってもタイムリーなコミックを読んでおられましたね。
先ほどざっと拝見しましたが、心理描写がなかなか深いですね。実際にあれだけ色んな葛藤があったかどうかは、わかりませんが、今の人ならもっと凄い葛藤というか、乗れないでしょうね。今後、難しい展開になりそうです。
のぶ
2014/10/17 17:28
松尾中佐の話は知りませんでした。
島尾敏雄は読んだことはありますが。

「流れる星は生きている」は母もこんな感じで引き上げてきたのかと思ったりします。
mori
2014/10/17 18:08
moriくん、こんにちは!
むむ。島尾敏雄さんのことは知りませんでした。
先ほどWikipediaでざっと調べましたが、文芸の才能があり、飛行予備学生を志願し、果ては特攻を志願するなど、個性が強そうな方ですね。特攻の待機中に終戦とは強運の方ですね。今度、著作を読んでみたいと思います。
のぶ
2014/10/17 18:44
『水』以外のテーマもきっちりと。
豊後竹田の軍神から熊本の松尾敬宇中佐への発想とサイクリング。
このあたりの知識は皆無、興味深く読みました。
でも結局、最後には『馬カレー』が印象に残ってしまった、
『戦争を知らない子供たち』では無くて『戦争を知らないO3』の平和ボケです。
みきたか
2014/10/17 18:59
みきたかさん、こんにちは!
「杉野はいずこ」の広瀬中佐は全国区の「軍神」で有名ですが、同じ「軍神」でも松尾中佐は、熊本でもそれほど有名ではないので、ご紹介かたがたレポートしてみました。
「馬カレー」はどっちかと言うと「野菜カレー」的な感じでしたが、お得感は高かったです。
わたしも、典型的な平和ボケの状態です。
のぶ
2014/10/17 20:09
シドニーに行った時、あちらのガイドさんが松尾中佐のシドニー湾での出来事を、必ず紹介しているということを 思い出しました。
ガイドさんが、『日本に帰ったらネットで調べてください』と繰り返し言ってんですが、忘れてました。太平洋戦争で殆ど攻撃されていないシドニーではこの話は有名らしいです。
本D
2014/10/17 22:04
本Dさん、こんにちは!
なるほど。やはりシドニーでは有名な話なんですね。今回、職場でも、私と同年代〜若い人に聞いてみましたが、松尾中佐の事はもちろん、日本がオーストラリア本土を攻撃した事も知らない人がほとんどでした。
第二次対戦の記憶も随分風化しているんですね。
のぶ
2014/10/18 06:17
のぶさん おはようございます。
ありがとうございます。とても勉強になります。松尾中佐の勇敢さもさることながら、ジェラート少将をはじめとしたオーストラリアの方々の懐の深さ、寛容さが印象的です。世界中の人々がこのような気持ちを持ち得れば、世界はもう少し平和なような気がします。
隣国同士のののしり合い、本当に止めたいものです。


PS四S
2014/10/18 06:46
PS四Sさん、こんにちは!
今回の逸話のキーポイントは、ご指摘のように、グールド少将の指示と演説だと思います。悲惨な戦争の中にも、その後の友好関係のきっかけとなるものがあれば、まだ少しは救われるものがあります。
これが隣国同志になると、特に領土問題では利害が相反することになりますので、なかなかうまく行きませんね。
のぶ
2014/10/18 09:19

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